【下野国分寺跡】
(しもつけこくぶんじあと)


●指定年月日

大正10年3月3日指定

●所在地

下野市国分

●アクセス方法

JR宇都宮線小金井駅下車、車で10分

●公開状況

公開
常時可能

●所有者又は管理者

下野市

●公開画像


●文化財概要

 下野国分寺跡は、奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇の詔によって全国各地に建てられた国立の寺院の一つです。南流する姿川、思川に挟まれた台地上に位置し、西方約600mには下野国分尼寺があります。
 伽藍(寺の建物)配置は、全国の総国分寺である奈良の東大寺と同じ形式(東大寺式)で、南北一直線上に南から、南大門、中門、金堂、講堂が並び、中門と金堂は回廊によってつながれています。塔は回廊の外側東方に置かれ、基壇の規模から七重塔であったと推定されています。また、金堂・講堂を挟んで東西には鐘楼、経蔵が置かれています。
 下野国分寺は、国分尼寺とともに、8世紀中頃から10世紀代(奈良〜平安時代)にかけて営まれ、この間、建物の瓦の葺き替えや、周囲を囲む塀の建て替えなどの改修も行なわれました。
 昭和57年度から平成4年度にかけて、寺院の範囲を確認するため、栃木県教育委員会により発掘調査が実施されました。その結果、全体の規模は東西約413m、南北約457mで、面積は約16町(約18万6千u)にも及ぶ広大なものであることがわかりました。また、遺構の残存状況は、全国的にみても極めて良好であります。
 現在、伽藍地の大部分は平地林と草地になっており、下野市によって史跡の整備が継続的に行われております。