【那須小川古墳群 駒形大塚古墳 吉田温泉神社古墳群 那須八幡塚古墳群】
(なすおがわこふんぐん こまがたおおつかこふん よしだゆぜんじんじゃこふんぐん なすはちまんづかこふんぐん)


●指定年月日

昭和54年3月13日指定

●所在地

那須郡那珂川町小川ほか

●アクセス方法

 

●公開状況

 

●所有者又は管理者

那珂川町

●公開画像

●文化財概要

那須国造(なすくにのみやつこ)が置かれた地域の中心地とみられる那珂川支流の権津川(ごんづがわ)流域に展開する古墳群。
(国造(くにのみやつこ)について)
大和朝廷の地方官。各地方に独立的権力をもっていた豪族を朝廷が支配機構に編成。大化改新で廃止。律令制下、新しく一国 に一人ずつ任ぜられ、祭祀・神事をつかさどった。

(駒形大塚古墳)
 那珂川の河岸段丘最上面東端に位置する全長60.5m、後方部高6.5mの東西方向を主軸とする前方後方墳である。昭和49年発掘調査が実施され、墳頂下約1.5mのところから豊富な副葬品が発見された。埋葬主体部は墳丘の主軸上にあり、東西5.4m、南北1.6mの木炭槨(木炭で覆った木棺)構造と推測されている。内部からは西側の頭部とみられるところから舶載鏡である画文帯四獣鏡が発見されたほか、銅鏃、直刀、刀子、鉄剣、ヤリガンナ、鉄斧、ガラス玉が出土している。これからの副葬品には朱が付着することから木棺内部に遺体及び副葬品安置後、朱が降り掛けられたものと考えられている。墳丘には葺石はみられない。前方部は削平されるものの前方部前端よりでわずかながら開き気味になるいわゆる『撥形』となる。この古墳は副葬品とともに埋葬に用いた土器群が明らかであり、東日本の古墳出現期(今から約1700年前)を代表する存在となっている。

(吉田温泉神社古墳群 那須八幡塚古墳群)
 那珂川と権津川の合流点を眼下に見下ろす河岸段丘東端に古墳が集中しており、吉田・新宿古墳群を形成している。北側を吉田温泉神社古墳群、南側を那須八幡塚古墳群と呼称した。
 吉田温泉神社古墳群には、吉田温泉神社古墳(前方後方墳)や観音堂古墳(方墳)がある。那須八幡塚古墳群は那須八幡塚古墳(前方後方墳)と吉田富士山古墳(方墳)がある。あわせて前期古墳が南北1kmに20数基連なっている。
 那須八幡塚古墳は、昭和28年、三木文雄氏の指導の下、小川町古代文化研究会(現小川町文化財愛護協会)により発掘調査が行われ、葺石を持つ前方後方墳であることがわかった。また、後方部墳頂下1mのところで両端に粘土塊を置いた木棺直葬の埋葬施設が発見された。埋葬は頭を東に向けたと推定され、舶載鏡であるとき鳳鏡をはじめ剣、鋸、やりがんな、斧、鎌といった豊富な副葬品類が出土している。さらに、平成3年度には本墳の史跡整備に伴う発掘調査により、前方部が両角を切り落としたような特徴ある形態であること、周掘の形状が不規則なものであることが明らかとなった。このほか周掘からは有段口辺壷や器台、高坏、鉢が出土し本古墳が古墳時代前期(今から1,750年前)に築造されたことがわかった。