【吾妻古墳石室部材(天井石・玄門石)】
(あづまこふんせきしつせきざい てんじょういし げんもんいし)


●指定年月日

平成26年1月31日指定

●所在地

壬生町本丸1−8

●アクセス方法

東武宇都宮線壬生駅から徒歩15分

●公開状況

公開
壬生城址公園内に展示

●所有者又は管理者

壬生町

●公開画像

●文化財概要

 吾妻古墳は栃木市と壬生町にまたがる古墳時代後期(6世紀後半)の大形前方後円墳で、思川と姿川に挟まれた台地上に位置する。昭和45年には国史跡に指定されている。
 嘉永3年(1850)の「壬生領史略」に石室内の詳細が記されているので、石室が開口していたことが知られる。また、明治初年に壬生藩主の鳥居忠文がが発掘し、石室の「蓋石」を壬生町上稲葉赤見堂に移設して庭石としたという記録があった。なお、この鳥居忠文は鳥居忠宝の誤記と思われる。
 現状では埋没していて確認できないものの、これらの記事から石室の解体が進んだものと思われていた。上稲葉の畑の中には吾妻古墳から移設されたと伝わる天井石と玄門石が残されていたが、壬生町に寄贈され、城址公園に移動・展示された。玄門石は凝灰岩であるものの、天井石は硬質な別の石材であることからすべてが石室の石材とすることは否定するむきが強かった。
 平成19年度から22年度にかけて吾妻古墳の発掘調査が行われ、現地に残された石室の状況が明らかになった。玄室の奥壁及び側壁が残されており、玄室の寸法が城址公園の石材と一致し、また奥壁と側壁は天井石同様の硬質石材製であった。この調査結果から城址公園の石材は伝承のとおり吾妻古墳から持ち出された事が確実となった。
 天井石は内面を上にして置かれており、奥行き2.6m、幅3.5m、厚さは0.8m以上である。縁辺部には側壁等を受ける刳り込みがコの字状にめぐる。
 玄門石は立てて置かれており、縦2.3m、横1.8m、厚さ0.45mである。凝灰岩の一枚岩をくり抜いて入口が開けられており、入口上部と側面には閉塞石を受けるために刳り込みがある。
 軟質な凝灰岩だけではなく、硬質な緑色岩が加工されており、これは同時期の畿内の石室石材加工を上回るものである。