栃木県立佐野高等学校・同附属中学校
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SGH活動日誌

SGH活動日誌
12
2017/08/31

佐野市長へSGHクラブの活動報告をしました

| by:情報担当

8月31日(木)16:30 佐野市役所の市長公室で、SGHクラブの代表生徒が、佐野市長に、夏休み中に実施したSGH活動について報告しました。

SGHクラブの台湾班の代表2名(飯塚菜摘さん、松澤あさひさん)と水俣班の代表2名(倉持未夢さん、古谷菜奈さん)、そして、ディベート班の代表2名(近藤大輝君、荻野佑介君)が参加しました。校長先生の挨拶および参加者全員の自己紹介の後、台湾班、水俣班、ディベート班の順に、活動報告を行いました。



市長さんは、台湾や水俣で実施したフィールドワークや即興型英語ディベート大会の様子などについて、質問をしてくださったり、感想を述べてくださったりして、とても和やかな雰囲気の中で、報告は終了しました。


SGHクラブの活動の様子は、9月2日(土)に行われる旭城祭で紹介します。フィールドワークに関する展示や英語ディベートの実演などがありますので、ぜひ、ご覧ください。


15:59
2017/08/05

SGH水俣フィールドワーク最終日

| by:情報担当

 SGH水俣フィールドワークの最終日が無事に終了しました。

 今日は生まれながらにして水俣病を患った胎児性水俣病の方の話と、このフィールドワークの総括として水俣市役所の福祉環境部・環境課・水俣病、もやい推進係の方からの話を聞かせていただくことができました。

《さかえの杜 ほっとはうす》

 ここでは、胎児性水俣病を患う方々の話を聞くことができました。詳しい話は個人情報もあるのでここでは控えさせていただきますが、「私たちの体を返してほしい。」という気持ちは共通のものでした。そして「仕事をしたい。」という話も共通のものでした。研究員の質問にも丁重に答えていただきました。大変ありがとうございました。
 
 

《水俣市役所》

 このフィールドワークの総括ということで、市役所を訪れて話をしていただき質疑応答の時間をいただきました。水俣病に関しての内容はもちろんのこと、エコタウン水俣としての活動に関しての話もあり、質疑応答にも丁重に答えていただきました。大変短い滞在時間となってしまいましたが、今回のフィールドワークの総括として非常に貴重なお話を伺うことができました。大変ありがとうございました。

 

 今回のフィールドワークは、研究員はもちろんのこと、我々教員にとっても大変勉強になるものでした。同時に、教科書に載っているだけの知識では足りないことを痛感させられました。このフィールドワークで得た知識や情報を、研究員ともども我々教員も一致団結して広く伝えていくようにしなくてはならないと感じました。研究員も同様な気持ちを持ったようです。以下、今回の水俣フィールドワークにおける研究員の感想です。

《研究員の本日の感想》
倉持 未夢(高2)
 今日は胎児性水俣病の患者の方々にお話を伺うことができました。患者の方々から直接聞いたお話の中には辛いものや悲しくなるようなものもありましたが、野球やお出かけ、将棋など日々の生活に楽しみをもって生きている姿をみて想像とは全く違うことに驚きました。また、自分では決められない出身地によってひどい差別や偏見をうけていたという話をきいて、このようなことはあってはならないと思いました。情報の操作や制限があったことなど実際に行って話を聞かなければ分からないようなことも知ることができました。さらにその後行った市役所では環境モデル都市としての1面をもつ水俣市について深く知ることができました。
 この4日間、様々な方向から水俣市・水俣病について考えてきました。特に、加害者と被害者の立場から水俣病をみてみると違う考えのところもあれば同じような考えをしているところもあり、被害者の間でも意見がバラバラであり、とても複雑な問題であるということが分かりました。このような問題は人事ではありません。被害者や患者の方々はお話の中で2度と繰り返さないような社会やシステム作り、公害をなくすために一生懸命勉強を頑張ってほしいということをおっしゃっていました。社会やシステムを変えることは難しいかもしれませんが、私達ができる精一杯のことをこれからしていきたいと強く思っています。私はこの体験を通してたくさんの宝物を得られました。この4日間で学んだことをさらに深め、正しく広め、ある1つの出来事ではなく大切な教訓として残し続けることが私達ができることなのではないかと思います。この研究で関わってくださった方々全員への感謝の気持ちを忘れずにこれからも研究を続けていこうと思います。


古谷 菜奈(高2) 

 胎児性水俣病の患者さんたちは、小さい頃から頑張られているということを改めて感じました。もし、自分が同じ立場だったら挫けてしまっているだろうということでも、家族や仲間とともに乗り越えて、今日までやってきていてすごいと感じました。長年続けてきた車いす生活にも慣れて、熊本から東京や新潟などを訪問したりしている方もいて、驚きました。
 この四日間を通して、水俣市に来てみないとわからないような患者さんとJNCさん、また水俣病の研究や治療、介護などに関わる方の生の声をお聞きすることができとても勉強になりました。今回の研修は、ほとんどの行き先を自分たちで選択し事前学習をして見学することができたので、とても内容が濃く記憶に残る四日間になりました。この経験を無駄にすることのないように、ちゃんとまとめて、たくさんの人に知ってもらえるよう積極的に発表していければと思います。


新井 康平(高1)

今日は、ほっとハウスと水俣市役所でFWを行った。ほっとハウスの水俣病患者の方たちは、意外にも話しているとき、ときどき笑顔を見せていた。そして、皆さん東京や、新潟などへ度々出かけているそうだ。病気に負けず、かなり活動的であることを知り、とても驚いた。病気や障がいのあるひとでも彼らのように楽しみ、生きがいを持って暮らせる社会を目指していきたい。市役所では、行政として水俣病、そしてエコタウンにどう取り組んでいるのか知ることができた。自分には何かできることはないのか?考える良いきっかけになった。

この研修から水俣病、そしてエコタウンについて学ぶことができた。本など資料では分からないことをFWを通して目で、耳で、心で感じることができた。これ以上ないほど貴重な体験だと思う。たくさんの人の考え、思いに触れた。一つのことに対して、それぞれの立場や人生で、意見に違いがあった。しかし、間違ったものはないだろう。すべての意見に耳を傾けた上で、自分は何ができるか?何をすべきか?考えていきたい。最後に、この研修に携わったすべての方に感謝したい。

安生 温大
(高1)
 今日はほっとはうすと水俣市役所を訪問しました。胎児性水俣病患者さんのお話を伺っていて、「仕事がずっとしたかった。」という言葉が特に印象に残りました。心は他の人と全く変わらないのに水俣病になったせいで仕事ができない、人のために働けないという事がどれだけ辛い事なのか、僕には計り知れません。しかし、今はほっとはうすなどで働くことができるので幸せなのだと思います。また、このような障害者の方達が働ける場所が今の日本に足りているのか?と思いました。働きたいと思う全ての人が働くことのできる世の中にしたいと思います。
 次に訪れた水俣市役所では、市が日本の環境首都として20種類のゴミの分別や、環境教育を実施していることを知りました。利便性だけではなく、環境への影響を考えた政策は感心しました。

 4日間という研修の中でずっと水俣病に関する話を聞いてきたが、その中で「生の声を聞くことがどれだけ大切か」そして「どれだけ自分が無知だったか」が分かった。

この研修に行くまでは何となく水俣病は怖い、そしてチッソが流した水銀が原因ということしか分からなかったが、実際には想像以上に多くの患者の方がいた。また未だに水俣病と認定されていない人たちもいて、裁判も続いている。その一方で、チッソはJNCとなり環境対策を向上させたり被害者に支援したり、水俣市は環境首都に認められるほどエコなまちづくりをしたりと水俣病の影響が良くも悪くもとても大きいことが分かった。この研修で経験したことは非常に心に残った。これからつくるまとめで、多くの人に今の水俣、本当の水俣を教えたい。

須藤 悠希(高1) 

四日目、最終日。ほっとはうすと水俣市役所を訪問しました。ほっとはうすでは、写真を見ながら水俣病の患者の方と施設長さんにお話しを伺うことができました。つらい経験をされながらも、いま楽しいことの話になると笑顔で話されていました。また、毎年東京で誕生日を祝われる方がいらっしゃるなど、遠くへ出かけることもあるそうです。「水俣病から宝物を伝える」生きざまという宝物を伝えていくという施設長さんの言葉の通り、私たちは宝物を受けとることができました。この宝物を周りの人にも伝えていきたいと思いました。市役所ではエコタウンについて学びました。公害からエコへとプラスの資産にするということが印象に残りました。ゴミの分別やコミュニティバスなど、今回の研究にとどまらず、他の研究の参考にもしたいと思いました。

水俣病やエコについて学んだ濃い四日間でした。水俣病の加害者側、被害者側双方の気持ちや意見を聞くことができ、とても貴重な時間になりました。また、リサイクルやエコ、福祉など多岐にわたることを学べたこともこれからに活かしていきたいです。四日間で聞いてきた数々の言葉を、正しい知識を、周りの人や後世に伝えるためにも、発表の準備をしたいと思います。最後になりましたが、お世話になった方々に深く感謝を申し上げこのフィールドワークを締めくくりたいと思います。ありがとうございました。

有澤 音羽(高1)

 今日、ほっとはうすへ行けた事はとても良い経験になりました。皆さん、辛い経験をしながらもその悔しさをバネに明るく元気に過ごしていらして人間の力強さを感じました。最近、楽しかった事を聞くと 楽しそうに趣味や旅行の話をしてくださって聞いてるほうも楽しい気持ちになりました。
 4日間を通して感じた事は、それぞれ立場によって考え方が違うけれど共通して市民同士で協力し合って前に進もうとしている事です。たくさんの方から話を伺う事ができてとても貴重な体験ができました。



13:20
2017/08/03

SGH水俣フィールドワーク3日目

| by:情報担当

 SGH水俣フィールドワークの3日目が無事に終了しました。

 今日は実際に水俣病と闘う方のお話や、裁判中の方の生の声を聞かせていただくことができました。また午後は、エコタウンならではの水俣市の取り組みを調べるため、リサイクル事業を展開している2つの企業を訪問させていただきました。

~午前~

《水俣協立病院》

 ここでは、水俣病不知火患者会の事務局長・副会長・また原告の方の話を実際に聞くことができました。
 昨日までの研修で、水俣病の知識は深まったものの、実際に生の声を聴かせていただくとさらに現実は厳しいものであることを痛感させられました。例えば、急性劇症型ではない患者さんの場合、はたから見ると水俣病の患者ではないように思われますが、実際には様々な感覚障害が起こっている方がかなりの数いらっしゃるそうです。また、それ以外にも家庭関係の悪化や仕事への障害も起こって職を転々とせざるを得ないような状況が起こるなど、目に見えない被害がたくさんあるという説明を受けました。

 印象に残ったのは、実際に裁判に原告として話していただいた方が、涙ながらに声を絞りだすようにして「本当は、チッソ(チッソ水俣工場)を訴えたくはないのが本音。」と仰っていたことです。親や親戚を含め、チッソ水俣工場で働いていた方も多かったようです。国の規制がしっかりあれば、チッソが水銀をここまで垂れ流すことはなかったのではないかというお話もありました。では、なぜ裁判の原告として頑張るかというと、「早く解決して水俣を明るくしたいから。お金の問題ではない。」ということでした。全面解決というのは、やはり水俣病の患者の全員救済と、地域の方との不和の解消を訴えておられました。いまだに差別・偏見があるのが現状のようです。

 また、水俣市立協立病院は、そのような患者さんと真摯に向き合い、ボランティアで水俣病治療に向けて研究を進めているそうです。水俣病の患者さんにとって大変力強い存在となっている様子が伝わってきました。

他にもここでは書ききれないほどの多くの話をしていただきました。話すのが辛い内容もあったと思いますが、研究員一人一人の質問に丁重に包み隠さずお話しをしていただきました。

その後、屋上へ案内していただき、水俣市内の説明をしていただきました。お話をいただいた皆さん、大変ありがとうございました。
 

~午後~

《アクトビーリサイクリング株式会社》

 午後は、今回のもう1つの研修テーマである「エコ」についての水俣市の取組みを、実際に企業を訪問することによって知ることができました。
 ここでは、2001年に承認を受けたエコタウン水俣市で、具体的にどのようにリサイクル事業を行っているかのお話と、工場の見学をさせていただきました。普段私たちが使っている寿命を終えた家電がそこにはありました。家電を使って壊れたら廃棄するだけの私たちでは、どのように分解されて再利用されているかを考える機会はなかなかありません。そこでは多くの従業員がそれぞれの役割を確実にこなしてリサイクルに取り組む様子を見ることができました。 またここでは、障害を持った方の活躍も拝見することができました。
 
 私たちの周りは便利な家電であふれていますが、その傍らで壊れた家電のリサイクルについても多くの方が関わっていることを忘れてはならないと感じました。丁寧なご説明、ありがとうございました。


《わくワークみなまた》
 ここでは、主に障害をもった方を従業員として受け入れて、「エコ・リサイクル」に取り組んでいる様子を拝見することができました。ペットボトルのリサイクルを主として行い、卵パックや洗剤容器等に再利用しているそうです。所長自ら、障害者福祉と障害者雇用に関する説明を詳しく話していただきました。
 
 現在、水俣病の患者さんも3名ここで勤務されているということです。明日訪問予定の「ほっとはうす」との関わりもありました。丁寧なご説明、ありがとうございました。

 明日はあっという間に最終日です。ここまでの研修で得ることができた知識を持って最終日に臨み、できる限りさらに多くの情報を持って地元の佐野へ帰りたいと思います。


《研究員の本日の感想》
倉持 未夢(高2)

 今日は実際に被害者の方々からお話を伺い、水俣病が全面解決するのは困難であり、目には見えず相手から理解されない症状に苦しんだことを学びました。辛い過去を思い出しながら話をしてくださった方々に感謝をしながら2度と同じようなことが起こらないようにするにはどうすればいいのか。水俣病をどうやって残していけばいいのか。ということについてこれから先考えていこうと思います。
  アクトビーリサイクリングはリサイクルやフロンの適正処理だけでなく地域貢献も重視していました。工場見学をして福祉にも力を入れてることや、どうやって家電製品をリサイクルしているのか実際に見ることができ、より深く学べました。

古谷 菜奈(高2) 
 今日は患者の方から、思い出すと涙ぐんでしまうくらい辛いことや、今は認めている水俣病を最初は認めたくなかったということなど、直接聞かないと分からない生々しいことまで聞くことができ勉強になりました。
 さらに、観点を変え水俣市のリサイクル活動について知るためにAct-Bリサイクリングさんにお伺いし、水俣病から学んだことを元に安全で環境に優しい活動をし、地域に貢献している事を聞くだけではなく見ることができ良かったです。

新井 康平(高1)
 今日は、協立病院、アクトビーリサイクリング株式会社、わくワーク水俣の3カ所でFWを行った。協立病院では、実際に水俣病患者の方たちからお話しをきくことができた。涙しながら語る姿から、これまでの苦しみを感じた。また、原告の方がお金のためでなく、本当の意味での水俣病解決のために裁判を続けていると知った。そして、「これから」「未来」ということを強く意識させられた。被害者の方たちは、すべての水俣病患者が救われる社会を目指して、大きな責任を持って裁判を戦っていると言っていた。やはり、水俣病はまだ、終わっていない。
 アクトビーリサイクリングでは、資源の持続性を考えるとリサイクルがいかに大事か学んだ。わくワーク水俣では、水俣病患者を含めた障がい者の方たちの働く姿を目にした。すべての人が生きがい、やりがいをもてる社会を目指し、貢献したいと感じた。

安生 温大(高1)
 今日は午前中に水俣協立病院を訪問しました。そこでは水俣病裁判の原告の方と話をすることができました。水俣病の解決のため、そして国にその過ちを認めてもらう為に裁判を続けていることが分かりました。身体を元に戻してほしい、国に認めてもらいたいという切実な訴えを聴いて、どうして国は認めないのだろうか、自分に何が出来るのだろうかなど様々な疑問ができました。これからよく調べ、考えたいと思います。最後に、「我々には水俣病を後世に伝える役目がある。」ということを言われたときには、自分もこの研修で学んだことを多くの人に知らせることが、「伝える」ことに繋がるのではないだろうかと思いました。しっかりとしたまとめをつくり、自分の役目を果たしたいです。
 午後のアクトビーリサイクリング、わくワーク水俣では、水俣が水俣病から環境に優しいリサイクルを始めたことを知りました。限りある自然を大切にしているのが素晴らしいと思いました。また、自分たちが多くのゴミを出していることに驚きました。リサイクルとはいえ、お金がかかります。そもそも排出するゴミの量を減らそうと思いました。

須藤 悠希(高1) 
 三日目、水俣協立病院を訪問し、実際に水俣病の患者の方のお話しを伺いました。小さい頃の体験や裁判のことなどを聞きました。涙を流されながら話す姿を見て、どれだけつらいのかを肌で感じました。
 午後は、アクトビーリサイクリングを見学し、リサイクルなどについて学びました。また、わくワーク水俣では、障がい者の方の支援や就労について法律や事業組織を中心に学びました。
 今日、そして三日間を通して、「人類がいる以上、水俣病は終わらせてはいけない。」という言葉の通り、水俣病の正しい知識を、周りの人や後世に伝え続けることが大切なんだと、強く感じました。
 明日は水俣病患者の方の職場や市役所を訪問します。行政側のお話しや意見も伺うことで、多角的視点から研究をしたいと思います。

有澤 音羽(高1)
 水俣協立病院では、実体験の話を聞く事ができて 差別や偏見の辛さが痛い程分かりました。具体的な話が聞けてとても良かったです。
 アクトビーリサイクリングでは、分解して分別している様子が実際に見る事ができて丁寧に行っているのだなと思いました。
 わくワークみなまたでは、障害者の方が社会に出ることができるように訓練をしていて、1人1人がやりがいをもって仕事に臨んでいる様子を感じとることができました。


22:39
2017/08/02

SGH水俣フィールドワーク2日目

| by:情報担当

 SGH水俣フィールドワークの2日目が無事に終了しました。

 今日は主に水俣病の知識とその後の取組みなどについて詳しく学習した日になりました。

~午前~

《水俣市立水俣病資料館・国立水俣病情報センター》

 水俣病の発生、原因究明、裁判、地域住民同士の関わり、現在に至るまで等、より詳しく水俣病についての知識を深めることができました。

 元々、水俣は非常に豊かな漁業地であり、たくさんの海の恵みを受けて暮らしていました。そこへ「チッソ水俣工場」が生まれ、まちも豊かになっていき、多くの人で賑わう工業都市になりました。

 しかし、しばらくしてネコや鳥が歩けなくなったり飛べなくなったりするなどの異変が生じるようになり、ついに人間にも同じような症状が出るようになっていきました。水俣病の発生です。原因究明の取組みが続けられましたが、経済優先の社会の動きのなか、適切な対応がとられませんでした。その対応の遅れから、被害が拡大することになったのです。

原因究明まで、多くの方が犠牲になったことは痛ましいことです。しかし、原因究明のための実験により、多くの動物たちも犠牲になったことを忘れてはなりません。そうしてやっと原因を突き止めました。「チッソ水俣工場」からの工業排水に含まれていたメチル水銀です。やがて裁判・補償問題になっていきました。しかし、「チッソ水俣工場」は住民の生活を維持するうえで、なくてはならない存在でした。それゆえに市民同士でも争いが起こったそうです。もちろん、昨日の話同様、水俣病と認定を求める被害を受けた方々の闘いは今もなお続いています。市民が望む水俣の再生は、環境の復元はもちろんですが、市民同士の心の融和です。
 
 
 
~午後~

《国立水俣病総合研究センター》
 

 水俣病資料館・水俣病情報センターから少し離れた場所に移り、「国立水俣病総合研究センター」を見学させていただきました。

 最初に「毒性病態研究室」でメチル水銀の毒性について、細胞レベルの研究を行っている先生の話を聞くことができました。まだまだ分からないことがあるものの、脳のどの部分で害が起きて、どの部分では害が起きないなどの詳しい話を丁寧にしていただきました。また、実際に細胞の一部を切り取る作業を体験させていただきました。

 次に「リハビリテーション室」で話を聞かせていただきました。まず、作業療法士についての説明から入り、具体的に水俣病患者へのリハビリの内容について、詳しく説明していただきました。また、実際に行っているリハビリの一環の革細工作製も体験させていただきました。

 
 
 
 

 大変忙しい一日にはなりましたが、それ以上に学ぶことの多い一日でした。研究員も熱心にメモをとって質問をするなど、大変有意義な活動になりました。私たちのために企画をして説明をしていただいた先生方、大変ありがとうございました。
 明日以降は実際に水俣病と闘う方のお話を聞かせていただいたり、病気と闘いながら働いている現場を訪問させていただく予定です。

《研究員の本日の感想》
倉持 未夢(高2)
 水俣病のメカニズムやメチル水銀の人体への影響、水俣病に関する法律をより深く学ぶことができました。さらに、社会的に加害者・被害者関係なくバラバラになってしまったことがより水俣病を複雑な問題にしていることを新しく学びました。

午後にはリハビリを体験・見学してとても印象深いものとなりました。

古谷 菜奈(高2) 

水俣病の被害者の訴えは、九州地方だけで起こっていたものだと思っていましたが、関西地方でも起こされていたということを初めて知りました。

また、普段入ることのできないような国立水俣総合研究センターの研究室に入り、ラットの脊椎を5μmの厚さに切るところを見学したり、細胞をレーザーにより切り取り出すことを体験できてとても貴重な時間を過ごすことができてよかったです。

リハビリステーションではお話を聞くだけではなく、HALや革細工を体験することができ思い出となりました。


新井 康平(高1)

今日は、水俣病資料館、情報センター、総合研究センターの3カ所でFWを行った。文字だけでは伝わらないような被害者の方々の苦しみを資料館の方のお話しや展示されている写真、映像から感じた。また、研究という視点から水俣病を見ることができた。とても貴重な体験だと思う。被害者、加害者の立場だけでなくいろいろな角度から水俣病について考えるべきだと気づかされた。


安生 温大(高1)

今日訪問した3つの事業所では、水俣病によって差別以外にも同じ市民同士での争いが起こっていたことが分かりました。漁業関係者とチッソの従業員、水俣病認定者と認定されなかった人などです。そしてこれらの争いは、まだ解決しきれていないそうです。自然がもとに戻っても、人間が戻れないのでは十分ではありません。しかし、人の心はそれぞれ違います。これからも話し合いを続けて、それぞれを尊重した結論を出してもらいたいです。また、このような争いは世界でもあります。どう考えるべきなのか、自分でもしっかりと考えてみようと思います。


須藤 悠希(高1) 

二日目、それぞれの場所で水俣病の発生原因や被害について深く学ぶことができました。また、研究施設では、水俣病に侵されたラットの細胞を見たり、海馬の一部をレーザーで切り取るなど、とても貴重な体験が出来ました。

明日は、病院やリサイクル施設を訪問します。そちらでもたくさんお話しを聞いて、よい研究にしたいです。


有澤 音羽(高1)

水俣病は、患者さんだけではなくその家族や仕事、社会がバラバラになったりと様々な所に影響する事が分かりました。

もやい直しと言う活動に興味を持ちました。昨日とは違う目線で水俣病について考える事が多かったです。立場によって色々な考え方があるのだなと思いました。



22:26
2017/08/01

SGH水俣フィールドワーク1日目

| by:情報担当


 本日からSGH水俣フィールドワークが始まりました。

 飛行機の時間が遅れ、移動手段が変わるなどアクシデントがありましたが、1時間遅れでも無事に「JNC株式会社 水俣製造所(チッソ水俣工場)」の見学を行うことができました。

 本工場は、液晶を始めとする様々な優れた技術で、社会に貢献をする先端化学企業です。特に液晶については、世界シェアの40%を占め、国内の家電メーカーはほとんどこの液晶を使用しているそうです。最近では水力発電以外にも太陽光発電にも取り組んでいて、エコな事業を展開しています。

 一方、過去には水俣病の原因となった汚染物質の流出を起こしてしまったこともありました。今でも多くの方が苦しんでいる中、反省をもとに補償を行っているそうです。担当の方が強調して仰っていたのは、とにかく初動が大事であるということでした。当時の汚染物質流出にしても、もっと早い行動をとっておけば、ここまで被害が広がることはなかったかもしれないからです。アクションを起こす勇気を是非もってほしいということでした。現在では、まだ完全な解決には至っていないものの、地域のために尽くすことで、地域の方々と協力して事業を展開できるようにはなってきているということです。
 
 
 

 質問の時間では、研究員がたくさんの質問をしていました。担当の方はそのすべてに丁寧に答えていただきました。大変ありがとうございました。

 

《研究員の本日の感想》
倉持 未夢(高2)

 加害者と患者の関係や、やってしまったことに対する重い責任、2度とおこらないように止める勇気という深いところまで聞くことができてとても勉強になりました。

古谷 菜奈(高2)

JNCの社員の方からお話を聞いたり、ビデオを見て水俣病についてまだ解決できておらず、いまだに治療をしている方がいること、現在は、市民や会社がお互いに助け合いながら未来に向けて頑張っていることなど、現地の方に聞かないとわからないような深いことを知れてよかったです。


新井 康平(高1)

水俣病を引き起こしてしまったという加害者としての立場ゆえに苦労しながらも、地域・社会のため、そして、被害者のためにと仕事に励んでいると知った。「社会貢献と贖罪。」この会社は、意欲と責任を持って活動しているのだと強く感じた。


安生 温大(高1) 

今まで「工場が原因」という事しか分からなかったのですが、今日の見学を通してその後工場がどのように変わったのか、工場は今日どんな対応をしているのかといったことを詳しく学ぶことができました。 水俣市、水俣病の印象が変わりました。


須藤 悠希(高1)

一日目、チッソ水俣工場では、1自分たちが思っている以上にいろんな製品を作っていること、②水俣病の加害者と被害者の関係や心理、を中心に直接だからこそ聞くことのできるお話しを聞くことができました。明日もいくつもの場所で研究ができるので、しっかり身に付けたいと思います。


有澤 音羽(高1)

 今日、JNC株式会社の見学に行って学んだ事は、公害を経て役に立つ物作りに力を入れているという事です。未だ水俣病の被害が続いているけれど地域の人達と手を取り合って前に進んでいる事が印象に残りました。



23:25
2017/07/28

SGH台湾フィールドワーク最終日(移動日)

| by:情報担当

今日は移動日です。活動はありません。今は台湾新幹線の車中でこの記事を書いています。

「SGH台湾フィールドワークの総括」
このフィールドワークは、地域資源を生かしたまちづくり復興の調査が目的でした。同時に重要な副産物(教育効果)がありました。

それは、調査活動を通して参加生徒たちが「あのような人に、私はなりたい!」と思えるような人にたくさん出会い、向上心を大いに刺激されたことです。

震災というピンチをチャンスに変えたまちづくりリーダー、なぜ取り組むのかという問いに地球を愛しているからと即答したおばあさん、優秀でも謙虚で朗らかで、何より熱意に燃えている医師、教育のビジョンを語り一日じゅう我々にあれこれと尽くしてくれた大学教授、3・11東日本大震災のボランティアに4回入ったのという台湾人ボランティア女性、太平洋戦争で左腕を負傷し苦労して生き抜いてきて、今の世界情勢を心配する通訳のおじいさん、ただ学生に最善の環境を提供したいだけと語る図書館主任、水道水への市民意識を変える夢を持って取り組む水道局の皆さんなどなど。

生徒の言葉を借りれば「このFWでは、あのような人になりたいと思えるおとなに、毎日会いまくっています!」
「神様のような人だ・・・」と後ろから手を合わせた生徒もいました。

「今の日本の子どもたちの不幸は、ロールモデルとなる大人が身近にいないことだ。」これは私の先輩教員からかつて教わった言葉です。その意味で、参加生徒たちが日本にとどまっていたのでは得られない発想と、恩返しをしたい気持ち、つまり自分の力を社会に生かすために勉強するのだという公共精神を学んだことを、目の前で見届けることができました。
日本に帰国後、生徒たちが疲れを十分とるとともに、今後の飛躍的な行動の変容を期待してます。
10:42
2017/07/28

参加生徒の日誌より

| by:情報担当

松澤あさひ(高1)
桃米生態村は何気ない資源で元気付け、復興させ、人を呼び込めている。台湾の人の温かさ、商魂のたくましさを見ることができた。桃米を一つのお手本とすべきだ。

坂井里衣(高1)
プーリーのまちがここまで震災から復興できた理由は、人の温かさとアイデア力。エコビレッジは、プーリーの何気ない魅力と被災者の思いがつまった場所です。

大芦さくら(高1)
埔里の人たちは、私達なら絶対気付かないような地域資源を見つけ、それを発展させていくのが上手だ。今の日本、佐野市に最も必要な力ではないだろうか?

08:56
2017/07/27

SGH台湾フィールドワーク4日目

| by:情報担当
921大地震の被災地の一つである埔里鎮(鎮は市に相当)の市役所に来ています。震災当時の状況、地域資源を生かしたまちづくり復興について、聞き取り調査を行いました。


Q.震災当時の課題について
A.震災当時は混乱していて、犠牲者が1000人以上も出ている状況だったため、当時の記憶はあっても資料が実は余り残されていない。とりあえず図書館で探して本を探して来ました。次の写真は、資料にあった当時のこの市役所庁舎です。ご覧の通り全壊しました。

Q.埔里には震災当時の傷跡が保存されている例が多いですね。
A.市内に残る倒壊した建築は、悲しい記憶ですが、一定の時間も経過した現在、生々しくないように手を加えて加工し、芸術的なオブジェに高める形にして保存、展示し始めています。逆に、日本はなぜ震災の跡を残さず、取り壊してなくしてしまうのですか?

(例)被災した金属製の樽を、そのまま公園のオブジェとしている。金属がぐにゃりと歪み、地震のすさまじさが伝わってくる。

Q.震災から18年が経過した現在、当時の恐怖心や地震への恐れは和らぎましたか?
A.市役所職員である私自身も被災者で、今でもちょっとした地震があっても恐怖心があります。

Q.学校の授業は震災からどれくらいで再開できたのですか。

A.校舎の再建には早くても半年を要しました。子ども達はそのまま級友と離れ離れになって各地の学校へ転校していった例が多いです。

Q.特に、被災したこどもたちへのケアについて
 A.カウンセラーの派遣を行ってきていますが、心の傷は18年目の今でも消えません。息の長い支援が必要な分野だと考えています。

Q.震災当時の町の様子や救援物資、災害支援の様子について
ライフラインや道路が寸断されたため、孤立した小さい町なのでレベルの高い医療も受けられませんでした。場所によってもまちまちだが、助けが来るのに一週間かかったところも。支援物資自体は次の日には速やかに届いたのですが、なにぶん混乱していたので、配布するのが難しかった。食料や飲料水だけでなく、紙オムツやミルクなど生活物資全般が不足した。暑熱の時期だったため、暑熱を防ぐためのテントが特に不足した。コンビニでの物資の強奪も起きた。テレビで日本の被災の様子を見ると、痛ましいけれども日本人はみなcalmで落ち着いていて尊敬する。どうしてそのようにcalmで居られるのですか?
A.いえ、1923年の関東大震災の時は日本人も大パニックに陥ったのです。地震の回数は台湾より多いので、そのたびに教訓を学び身に付けた結果だと思います。

Q.被災地域は広範囲なのに、なぜ埔里をフィールドワークの場所に選んだのですか。
A.日本でもどこでも被災地は衰退し、かつての繁栄を取り戻せているところは少ないです。神戸市もそう。それなのに埔里はトンボやカエルなど何気ない地域資源を生かして震災時以上の繁栄をしているところに魅力を感じたので、埔里をフィールドの場所に選んで調査に来たのです。

Q.埔里のどのような地域性に着目して復興を考えましたか?
A.埔里は標高が高いため、低緯度地方でも気候が日本に近い点を生かして、日本人向けのロングステイ事業を進めてきました。わたしは埔里鎮(鎮は市に相当)の日本人ロングステイ事業担当者でもあります。埔里の日本人長期滞在者をわたしは知っていますが、残念ながら、この時期は皆ちょうど日本に帰ってしまっています。


Q.逆に教えてください。埔里に滞在して、日本人の皆さんが気付いた埔里の魅力は何ですか?
A.片柳先生:埔里の町並みは30年前の日本の地方都市をほうふつとさせます。わたし世代にとっては、自分の子ども時代を思い出させる、懐かしい景観だと思います。
A.高久先生:日本人シルバー世代は退職後、沖縄に移住してセカンドライフを過ごす例が増えてきています。沖縄同様に、冬でも温暖な台湾の気候は魅力です。



午後は台中市に移動し、慈済綜合醫院を訪問、環境配慮型設備と台湾の医療課題について質問した。写真は素晴らしいお人柄の郭勁甫医師。日本語を小学生のころから独学してきたそうで、大変流暢。

大芦さくら(高1)「外国人患者の医療体制について教えてください。」
郭勁甫医師「台湾の医師は英語なら誰もがバッチリです。なぜなら医学書は台湾では全部英語だから。ここは日本と違う。台湾では英語ができないと卒業できません(笑)。」
日本人との英語力の差に圧倒された。

飯塚菜摘(高2)「921地震のような大災害時の医療課題は何ですか?」
郭勁甫医師「わたしも921地震で救援に入りました。慈済ボランティアは、この前はシリアにも支援に入っています。医療は怪我を治すとか外見上のケアをします。でも大災害で一番大切なのはなんでしょうか?それは見えない心のケアです。トラウマともいいますが、数日間で治せますか?治せまんよね。 医療人にできるのは外見上のケアに過ぎない のです。」

松澤あさひ(高1)「台湾では、お金のない人は医療にはかかれないのですか?」
郭勁甫医師「行政が無収入低収入と認定した証明書がある人、戦傷者、それと精神疾患の方は全て無料です。しかしながら、夜市ありますよね、夜市の売り上げは行政は把握できないから統計上無収入になります。このようなケースも医療費無料になってしまうのが課題となっています。」

篠崎凛花(高3) 「私は医療職を目指しています。医療従事者に求められる最も大切なことは何ですか?」
郭勁甫医師「助産師ですかー。今までの医療者の仲間の顔、思い出が浮かんできます、何からお話したらよいか。。。一番大切なのは知識より態度。僕はずっとそう思ってる。いろんな仲間と出会う、チームで仕事をする。僕の医学生時代、解剖をしました。チームは8人ですが、一生懸命深夜まで取り組んでいたのは4人だけ。残りの人は夜食作って食べてました。大切なのは、いい医療人になりたいという熱意だと思います。」

災害時等の非常用水源対策
:水道供給停止の際には近くの山の地下水利用体制が整っている。

水資源不足が台北以上に深刻な台湾中南部では、雨水回収利用が進んでいる。最上階の巨大雨水タンクを説明して頂いた。

石川健吾くん(高2)「この病院に先住民族出身の医師はいますか?」
郭先生が医学生だった時、クラス70名のうち6名が先住民族出身だったそう。
先住民族出身者は10パーセントボーナスが入る。つまり入試で500点だったら550点扱いとなる。郭先生が仰るには、医師には頭の良さは絶対に必要なものではないからだ。

予防医療センターを見学。
「予防は医療に勝る」

別れの際には院長先生より一人ひとりにお守りを手渡して頂いた。

10:31
2017/07/26

SGH台湾FW 参加生徒の日誌より

| by:情報担当
学びの密度がこれだけ濃い1日はなかったと生徒たちは話します。わずか1日でこれだけ体験し、これだけ既成の考え方を揺さぶられた1日は、日本にいたままでは、味わえなかったのではないでしょうか。わずか1日が、大きな1日になる。生徒の飛躍的成長を目の前で見届けることができるのは、引率教員としても幸せです。

大芦さくら 高1
ボランティアで活躍しているおじいさん、おばあさんの話を聞いてものすごい衝撃を受けた。16年間生きてきて、そんな考え方は全然したことがなかったし、そのような発想をする大人も周りにいなかった。高齢化が進む日本こそ、高齢者が活躍し、生きがいが持てることが必要なのに、と思った。

坂井里衣 高1
仕事帰りや学校帰りにボランティア立ち寄る人から朝から一日中励む人まで一人ひとりが熱心に「地球のために」作業している姿を見て驚いた。921地震教育園区は全壊した学校をそっくり保存していて、(同じ地震国でも)日本にこのような場所はないので、国によって発想がこんなにも違うことが分かった。

松澤あさひ 高1
921地震教育園区の展示に表れているように、災害を単に悲観するのではなくそれを次に役立てる、この姿勢を私達は学ぶべきだ。また、慈済のような場所は日本には少ない。高齢者も障害者も仕事が十分にない。誰もが社会に貢献でき、やりがいを見つけられる仕組みを考えていくことが必要だと思う。

篠崎凛花 高3
慈済リサイクルセンターの言葉が私のこころに響いた。いくつになっても、いつまでもリサイクルやボランティア等の仕事があれば、老人も元気になり、社会の役にも立てる。93歳の環境ボランティアの方の「地球が健康になれば、私も健康になります。」という考えを、日本にも広めたい。

相田真沙樹 高3
ボランティアの方の実践に感動した。自分が行動することによって他者の心を動かすということが、単なる呼びかけよりも効果的なのだ。ボランティアを通して、高齢者にやりがいと社会に貢献しているという実感と、そしてコミュニティの場を実現し、健康寿命に繋げている様を体験できた。

飯塚菜摘 高2
83歳のボランティアが笑顔で働いている姿を見て感動した。日本にはこのような場所はないのではないか。分別ボランティアを体験したが、私たちがコンビニ等で買物するだけであんなにゴミが出て、そしてそれを私よりはるかに高齢な方が分別していることを知り、自分の生活を見直す契機になった。

石川健吾 高2
慈済のボランティアの方々にはとても温かく接して頂き、僕の質問への回答の些細な誤りにもわざわざ電話番号を調べてかけてきて教えてくださり、何度も謝って頂いたりして、その温かさ、心配りの深さに感動した。将来は英語はもちろん中国語を身に付けて日台交流に尽くしたいと思う。
22:02
2017/07/26

SGH台湾フィールドワーク3日目

| by:情報担当
私たちの活動が、台湾のテレビと新聞に載りました。
「台湾好報」7月26日夕刊
http://www.taiwandiginews.com.tw/?p=46995

【記者 張良舜/埔里 報導】
日本超級全球化高中櫔木縣立佐野高等學校進行暑期海外交流,26日訪問國立暨大附中,進行語言、文化及科學等交流。學生們透過中文、日語及英語夾雜,彼此分享不同的文化體驗及科學認識等交流,雙方互動十分熱絡。

日本「超級全球化高中(SGH)」是由文部科學省(教育科學部)推動高中實施培養國際人才的措施。具體內容包括讓學生研究自己居住地區與世界共通的課題、接觸在海外從事企業活動的本土企業、思考國際性問題等;其目的是提升外語能力,藉此提升溝通能力與解決問題的能力。



埔里鎮に来ています。台湾島のちょうど真ん中で、「台湾のへそ」に位置する人口約8万人の地方都市です。1999年の921地震の被災地の一つです。3日目の今日は、このまちにある国立曁南国際大学(宇都宮大学の連携校)及び同附属高校を訪問します。現地の高校生達と交流し、災害からの復興、地域資源を生かしたまちづくり等についてディスカッションする予定です。
14:00からは、紙技術や竹細工、トンボやカエルなどを地域資源として生かして経済復興に繋げた桃米エコビレッジを体験する予定です。

07:25
12

SGH

昨年度に佐野高校はスーパーグローバルハイスクールに選定され、2年目の活動に入りました
佐高SGH概念図.pdf
 

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特殊詐欺防止について

佐野警察署から、旭城同窓会名簿を利用したと思われる特殊詐欺事案が発生したとの連絡が入っています。
 手口が大変巧妙になっているようですので、卒業生の保護者の皆様、旭城同窓会同窓生の皆様におかれましては、特殊詐欺の電話には十分ご注意下さいますようお願いいたします。  被害防止に向けての留意点等は、こちらをご覧下さい。