輪王寺強飯式
輪王寺強飯式はどのような歴史を刻んできたか

(1)強飯式のはじまり

その起源は古く「勝道上人(しょうどうしょうにん)」の日光開山(奈良時代)にさかのぼります。

日光山古儀の「飯を強いる」儀式で、日光責めの名をもって知られています。

山伏の修行が盛んに行われた平安時代、その修行を行った者たちが、山中の修行場のご本尊に供えた「お供え物」を持ち帰り、里の人々に分け与えたことが、始まりとされています。


(2)江戸時代に現在の形になる

江戸時代には、修行のときだけでなく、日光三社権現(にっこうさんじゃごんげん)〔千手観音(せんじゅかんのん)・阿弥陀如来(あみだにょらい)・馬頭観音(ばとうかんのん)〕や開運三天(かいうんさんてん)〔大黒天(だいこくてん)・弁財天(べんざいてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)〕からお供え物をいただく儀式へと発展し、ほぼ現在の形になりました。

また、徳川将軍家の名代(みょうだい)や全国の有名な大名たちが「藩の名誉」として強飯をいただきにきました。