田中正造
田中正造の略年表

田中正造の略年表

天保(てんぽう)12年
(1841年)
下野国(しもつけのくに)安蘇郡(あそぐん)小中村(こなかむら)〔現在の栃木県佐野市〕に生まれます。
安政(あんせい)4年
(1857年)
小中村で名主に公選されます。(17歳)
明治(めいじ)3年
(1870年)
江刺県(えさしけん)花輪支庁(はなわしちょう)〔現在の秋田県〕の役人となります。(30歳)
明治13年
(1880年)
栃木県議会議員(とちぎけんぎかいぎいん)に当選します。(40歳)
明治15年
(1882年)
立憲改進党(りっけんかいしんとう)に入党します。(42歳)
明治17年
(1884年)
栃木県令(とちぎけんれい)、三島道庸(みしまみちつね)の政治に反対します。(44歳)
明治19年
(1886年)
栃木県議会議長となります。(46歳)
明治23年
(1890年)
第1回衆議院議員(しゅうぎいんぎいん)に当選します。(50歳)
明治24年
(1891年)
足尾鉱山鉱毒加害の質問書を提出します。(51歳)
明治29年
(1896年)
渡良瀬川(わたらせがわ)が大洪水となります。被害民といっしょに足尾銅山鉱業の操業停止運動を開始します。(56歳)
明治34年
(1901年)
衆議院議員を辞職します。鉱毒事件を天皇に直訴しましたが、阻止されます。(61歳)
明治37年
(1904年)
谷中村(やなかむら)に住み、遊水地反対運動に励みます。(64歳)
明治40年
(1907年)
栃木県が、谷中村に残っていた民家を強制的にとりこわします。谷中村復活運動で活躍します。(67歳)
明治43年
(1910年)
関東大洪水(かんとうだいこうずい)が起こります。関東各地の河川の実地調査を行います。(70歳)
大正(たいしょう)2年
(1913年)
谷中村への帰途、病に倒れ死亡します。(73歳)