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校長室より

NEW 令和6年度 学校長あいさつ

校舎を背にして立つ校長  栃木県立盲学校HPに御来訪くださり感謝申し上げます。

 校長の野原辰男でございます。校長としては2年目、盲学校での勤務歴としては12年目となりました。今年度も、よろしくお願いいたします。

 ところで、はじめに紹介したいのですが、本校では令和6年度から以下にあげた3つの新事業を始めました。

(1)『とちもうeyeサポートセンター』の立上げ

(2)『幼稚部3歳児学級』の設置

(3)『通級による指導』の開始

 これらの事業に取り組み、視覚障害教育に関するセンター的機能の更なる充実を進めてまいります。栃木県立盲学校の新しい歴史が始まろうとしています。地に足をつけ、進めてまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 さて、見えない・見えにくいことでお困りの方はいませんか。就学や進学、そして将来の生活に不安や悩みをかかえている方にとって、盲学校への入学は、1つの選択肢です。なぜなら、盲学校だからこそできる教育があると考えているからです。

 近年、盲学校の在籍者数は全国的に減少する傾向にありますが、本校では少人数であることをアドバンテージととらえて、個に応じた教育を手厚く行っています。そして、自己実現を図れる幼児児童生徒を育てていきたいと考えています。

 また、盲学校の教育力を高めるために、自彊不息(じきょうやまず)の精神をもって視覚障害教育に関する専門性の向上を図る取組を行っています。

 このように校内教育の充実を基盤として、視覚障害教育のセンター的機能を発揮し、県内各地で困り感をかかえた見えない・見えにくい幼児児童生徒をはじめ、全世代の視覚障害者への支援を展開していきたいと考えています。

 視覚に関して不安なことがありましたら、些細なことでもかまいませんので、『とちもうeyeサポートセンター』まで御相談ください。

 

 

花丸 文教大学教授の小畑千尋先生がいらっしゃいました!

文教大学 教授 小畑千尋 先生と校長

 令和6年2月22日に、文教大学 教育学部 発達教育課程 教授の小畑千尋先生が、来校してくださいました。小畑先生は、音楽教育学が専門でいらっしゃいますが、特に歌唱におけるオンチ克服指導法として独自の理論『OBATA METHOD』を確立された著名な先生です。私が聾学校長だった時代に聾学校にも2回ほど来校してくださいましたので、お会いするのは3回目になります。毎回のことですが、小畑先生の前向きで人の良さに着目する姿勢が素晴らしく、知り合えたことに喜びを感じてしまいます。今回は小学部、中学部、高等部の音楽を見学してくださいましたが、盲学校児童生徒が自分の声に耳を傾け、大切に歌う姿にとても感心しておられました。また、音楽科教員への賛辞も頂戴することができました。このことは音楽科教員はもちろんのこと、本校にとりましても大きな励みとなりました。著名で多忙な小畑先生に御来校いただきましたことに心から感謝申し上げます。

花丸 視覚障がい乳幼児研究会『栃木大会』に参加しました。

 令和5年12月16日(土)~17日(日)に宇都宮大学にて、第45回視覚障がい乳幼児研究会『栃木大会』が開催されました。筑波大学准教授の佐島毅先生の基調講演を生で聞くことができるので、とても楽しみにしておりました。佐島先生は、「手で見て学ぶ世界を理解する~盲幼児・盲重複児の発達を支援するために~」というテーマのもと、全盲児が、素晴らしい教材と系統立てられた教材の提示によって平面から縦横、そして3次元へと触察の世界を広げていく指導事例を見せていただきました。子どもの発達と触察世界の広がりが密接に結びついているという内容からは、漠然と捉えている子どもの発達を整然かつ明確にしていただいた思いです。加えて楽しみだったのは、基調講演後のシンポジウムに本校の早期教育相談担当職員や保護者が話題提供者として登壇することでした。身内の活躍ぶりが素晴らしく感心するばかりでしたが、特に保護者からのお話は、御自身の出産から育児へとライフステージが変化する中で家族とともに悩み、考え、切り開いてきたというオリジナリティにあふれた内容で、視覚障害教育にとって参考になる視点がたくさんございました。保護者のお話に対し、研究者の皆様がたくさんメモをとっていたこと…。どんなに素晴らしいお話だったかが分かります。

三科先生とともに

 さらに思いがけない方との再会に興奮することとなりました。それは、宮城教育大学准教授の三科聡子先生です。今年度、宮城教育大学から教育実習生を受け入れましたが、その御挨拶にと仙台から本校に足を運んでくださった先生です。指点字の達人でもある三科先生と再会できてとてもうれしかったです。視覚障がい乳幼児研究会会長で大阪教育大学特任教授の山本利和先生もお見えになっており、開会の御挨拶をしてくださいました。とにかく視覚障害教育において御高名な先生方がお集まりでした。一日だけの参加でしたが、興奮と活力をたくさんいただくことができました。

花丸 白鷗大学教育学部准教授の向井先生がお見えになりました。

 特別支援学校では、毎年、介護等体験として教員を目指す大学生を受け入れています。盲学校においても2日間の日程で多くの学生を受け入れていますが、授業参加等を通して幼児児童生徒が学ぶ姿や盲学校ならではの指導方法などについて体験していただいております。私は、常日頃から、見えない、見えにくい幼児児童生徒に対して分かりやすさを追求した授業の工夫は、地域の小・中学校の授業でも活用できるのではないかと考えています。介護等体験で来校した学生たちが、盲学校での体験を将来の授業作りの参考にしてくれることを願っています。

白鷗大学 向井先生

 12月の介護等体験では最終日の8日(金)に、白鷗大学教育学部准教授の向井正太先生が来校してくださいました。今回も白鷗大学から学生を受け入れておりましたが、今年度最後ということで校長室に来室してくださり、御挨拶を頂戴しました。向井先生は、英語が御専門とのことでしたが、特別支援教育にも興味をお持ちになっている御様子でした。また、学生の中には、介護等体験をきっかけに特別支援学校に進もうと考える方もいるのだとか…。時間の都合で、向井先生とは話し足りない感がありましたので、何かの機会に再開できることを願っております。御多忙な中、足を運んでくださりありがとうございました。

花丸 宮城教育大学名誉教授の猪平眞理先生に御来校いただきました!

猪平先生と校長

 本校では、令和5年11月15日(水)に宮城教育大学名誉教授の 猪平 眞理 先生をお招きし、専門性向上研修会を開催しました。猪平先生は、全国視覚障害早期教育研究会名誉会長でもあり、幼児教育と視覚障害教育の第一人者でございます。当日は、関東甲信越地区の盲学校7校がオンラインで研修会に参加してくれましたが、猪平先生の名声と人気ぶりが伝わってまいります。

 猪平先生は、朝早くから本校に足を運んでくださり、午前中は幼稚部の授業参観及び幼稚部保護者との懇談、午後は小学部の授業参観及び授業者への助言と、御指導を賜ることができました。そして、放課後に講演会をいう運びでしたが、一日を通して温かい眼差しと穏やかな表情で対応してくださいました。

 放課後の講演会では、『視覚障害のある子どもの探求心の育みを大切にした早期からの支援』という演題のもと、「触知覚の育成には旺盛な探求心が必要」や「子どもの意欲的な学びを誘うためには安心できる状況が必要」、効率のよい視覚の使い方を体得する過程で「目と身体の協応も重要」などなど、目からうろことなる金言をたくさん頂戴しました。今回の研修によって、まだまだ猪平先生の足元にも及びませんが、子どもを見る視点に関して専門性を高めることができたと考えています。

 再びの機会に、ぜひとも猪平先生の御指導を賜りたいと願っております。

花丸 城山地区体育祭に参加しました!

城山地区体育祭会場にて

 令和5年10月8日(日)に、本校が設置されている宇都宮市城山地区にて体育祭が開催されました。コロナ禍が続いたため、5年ぶりの開催とのことです。会場は宇都宮市立城山中学校でした。

 本部横にある来賓席から、地域の方々が和気藹々と楽しそうに競技される姿を拝見させていただきました。見学していて感心したのは、就学前のお子さん、小学生、中学生、高校生も多く参加されており、お年寄りも含めて各世代間のつながりが素晴らしいということです。そして、運営を担っていた地域の方々の連帯感も素晴らしかったです。地域の方一人一人が城山地区を愛していらっしゃるんだなぁと伝わってまいりました。

 温かみのある城山地区の一員として、栃木県立盲学校も地域に貢献し、地域の一員として地域の皆様に認めてもらえるよう、今後もお付き合いをさせていただきたいと思いました。

花丸 サウンドテーブルテニスが生まれた足利盲学校

 「サウンド・テーブル・テニス」というパラ・スポーツをご存じでしょうか?テーブル・テニスといえば卓球ですが、「サウンド」が頭に付くように、「音」という情報を活用しながら視覚障害者がプレイする卓球競技です。10月7日(土)には、本校を会場に第40回関東地区盲学校卓球大会も開催されました。

 実は、このサウンド・テーブル・テニスは、本校の前身である私立足利盲学校(後に宇都宮市に移転し、栃木県立盲学校となる)にて、当時の沢田正好校長先生が考案されたスポーツなのです。資料によると足利盲学校が足利市本城2丁目から相生町に移転した昭和6(1931)年から1~2年の間に考案されたと思います。相生町の盲学校は敷地も広く、男子の間では相撲や駆け足など運動が盛んになっていたようですが、女子は見ているだけのことが多く、沢田校長はどうにかならないかと考えていたようです。そこで卓球台の縁に囲いを作り、ラケットでボールを打ってネットの下を転がし合うという卓球を考案し、「盲人用ピンポンを作ったからやってみないか。」と声を掛けたそうです。全盲、弱視、男子、女子に関係なく、ある程度の技術も必要だったことから、みんなが楽しく競技することができ、放課後には盛んに行われたそうです。昭和8(1933)年には、帝国盲教育研究会にて「盲人ピンポン」として発表されています。昭和40(1965)年に開催された第1回全国障害者スポーツ大会からは「盲人卓球」の名で正式種目となり、平成14年(2002)年からは「サウンド・テーブル・テニス」と改名し、現在に至ります。競技の特徴は下記のとおりです。

・卓球台は一般の卓球台と同じサイズですが、エンドラインには1.5㎝の高さがあるフレームが付いています。両サイドにもエンドラインから60㎝先のところまでフレーㇺが付いています。一定範囲内のスピードなら、ボールは卓球台から落下しません。

・ボールも一般のボールと同じ大きさですが、中に金属球が4粒入っていて転がると音が出る仕組みです。

・ラケットは一般のラケットのようですが、ラバーは貼りません。ボールにあたったときに、打音が出ます。

・ネットは、卓球台の面から4.2cmの隙間を空けて上に張ります。ボールはネットの下を通してラリーを続けることになります。

 沢田校長先生の「多くの視覚障害者に運動を楽しんでもらいたい」という思いと工夫から生まれたサウンド・テーブル・テニス...。競技の普及に伴いルールと用具が確立し、競技名の改名を経てさらに発展を続けています。パラ・スポーツの先駆けとなるサウンド・テーブル・テニスが栃木県の盲学校から生まれたことを誇りに思います。

 

 

 

花丸 栃木県立聾学校(前任校)にうかがいました。

聾学校 平野校長先生とともに 岸 教頭先生とともに

 8月28日(月)に休暇をいただき、私が昨年まで校長を務めていた栃木県立聾学校に訪問させていただきました。詳しくは聾学校のホームページをご覧いただきたいと思いますが、先週の8月23日(木)から8月25日(金)に掛けて、栃木県立聾学校が主管校となって第72回関東聾学校卓球大会が開催されていたのです。私は、昨年の聾学校長だったことに関連して大会顧問になっていたため、居られたのは短い時間でしたが、2日間に渡って参加させていただきました。微力ながら、昨年は大会準備に携わらせていただきましたので、ブレックスアリーナ宇都宮(市体育館)で素晴らしい大会運営をされていた聾学校職員の皆さんや、活躍する聾学校生徒の皆さんを目の当たりにし、感動と感謝の気持ちを覚えた次第です。今回は、感動冷めやらぬ中、立派に大会運営を指揮された平野校長先生にお祝いを申し上げたく立ち寄らせていただきました。3月まで通勤した聾学校に懐かしさを感じながらも、平野校長先生、岸教頭先生のしっかりとした学校運営ぶりを確認でき、前校長として大変うれしく思いました。盲学校と聾学校は、古い時代には一つの学校でした。今は別々の場所で教育活動を展開しておりますが、必要に応じて連携をお願いしたいと思います。

花丸 指切り地蔵

 指切り地蔵

 今回は、本校の幼児児童生徒を見守り続けて46年目を迎えている「指切り地蔵」を紹介します。お地蔵様は、昭和52(1977)年の秋に本校に赴かれ、昭和52年10月17日には贈呈式と除幕式が盛大に行われたそうです。現在は、幼小部棟昇降口にたたずみ、子どもたちを見守っておられます。

 作者は、大田原市出身の彫刻家、関谷 充 氏(1903~1983)です。

 関谷先生は、昭和49(1974)年2月、本校創立65周年並びに新校舎落成記念式典に合わせて、当時の青木直明校長先生からの依頼により記念講演をしてくださいました。その時に、盲学校の子どもたちが作品に触れられるようにと動物やその他さまざまな彫刻を持参してくださいました。そして、講演後に彫刻作品に触れて喜ぶ子どもたちの姿に大いに感動され、「記念に何か私の作品を贈りましょう!」と約束してくださったそうです。

 3年後の贈呈式当日には、関谷先生からこんなお話があったそうです。

「約束はいつも心から離れませんでしたが、構想を練るのにたいへん手間取ってしましました。ある日、ふと別れ際にこどもたちと握手したぬくもりが甦り、約束したのだから『指切り地蔵』が良いのではないかと思いつきました。盲学校の子どもたちが、自由に顔をなでたり、お地蔵様と指切りをして遊べるようにと考えました。そして、私の孫をモデルにして、この120㎝の等身大の像を作りました。皆さんは、このお地蔵さんと仲良く遊んで大事にしてください。」

 関谷先生は、静かな口調でお話ししたそうですが、盲学校の子どもたちへの深い愛情と限りないヒューマニズムが宿っていたそうです。

 「指切りげんまん」と言いたげに、今も右手の小指を差し出し、子どもたちをとの触れ合いを待ってくれているお地蔵様・・・。

 今や、本校の風景に溶け込んでいるお地蔵様ですが、本校にとっては、心温まるエピソードであり、忘れてはならない歴史だと思います。これからも関谷先生の思いとともに、大切にしてまいります。

 今日も優しくたたずむお地蔵様。よく見ると頭頂部と小指のあたりは、明るく変色しています。頭をなでられたり、指切りしたり。お地蔵様にもたくさんの思い出があることでしょう。

 

花丸 R5年度も宇都宮大学との連携を始めました!

 宇都宮大学 岡澤先生と福田先生とともに

 令和5年5月9日(火)に宇都宮大学大学院教育学研究科教育実践高度化専攻(教職大学院)教授の 岡澤慎一 先生と宇都宮大学共同教育学部助教の 福田奏子 先生がお見えになりました。

 岡澤先生は、栃木県内の特別支援学校に隈なく足を運んでおられ、あらゆる障害種の特別支援教育に対し、深く理解されている先生です。子どもに寄り添い、子どもからの発信を見落とさず、子どもの成長や学びを分析するお姿は、多くの教師から尊敬の念を集めておられます。今回、岡澤先生からは、本校が教職大学院との連携協力校をお受けしたことに対し、大学院学生とともにご挨拶に来てくださいました。

 福田先生は視覚障害児教育が専門ですが、ご自身の研究活動の一環として、研究協力の依頼に足を運んでくださいました。福田先生は、宇都宮大学において視覚障害者に関する教育領域のカリキュラムを支える大切な先生です。栃木県の視覚障害児教育に関する専門性の向上や教育現場の充実・発展等において、キーパーソンになる方だと思っています。福田先生に、本校を研究実践の場として選んでいただけたことは、この上ない喜びです。

 岡澤先生や福田先生をはじめ宇都宮大学の先生方や学生の皆さんとは、ぜひとも連携をお願いしたいと思っておりました。末長いお付き合いをお願いしたいと思います。