蒲生君平 | |
蒲生君平の略年表 |
蒲生君平の略年表
明和(めいわ)5年 (1768年) |
現在の宇都宮市(うつのみやし)小幡(おばた)で福田屋(ふくだや)という油屋の4男として生まれます。 |
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天明(てんめい)元年 (1781年) |
名将蒲生氏郷(がもううじさと)の子孫であると知ります。学問によって身を立てることを心に誓います。(13歳) |
天明3年 (1783年) |
鹿沼(かぬま)の儒学者、鈴木石橋(すずきせっきょう)に弟子入りします。(15歳) |
天明5年 (1785年) |
福田姓から蒲生姓に改姓します。通称彦平(ひこへい)と称します。(17歳) |
天明6年 (1786年) |
石橋より、人生の師として黒羽藩(くろばねはん)大関家家老(かろう)鈴木正長(すずきまさなが)を紹介されます。(18歳) |
寛政(かんせい)2年 (1790年) |
江戸へ向かいます。山本北山(やまもとほくざん)の奚疑塾(けいぎじゅく)に入門します。(22歳) |
寛政8年~9年 (1796年~1797年) |
第一回の古墳調査をします。近畿地方(きんきちほう)の古墳の調査を行います。(28歳) |
寛政9年 (1797年) |
『山陵志(さんりょうし)』の草稿(そうこう)ができあがります。(29歳) |
寛政11年~12年 (1799年~1800年) |
第二回の古墳調査をします。近畿・四国地方(しこくちほう)の古墳の調査を行います。(31歳) |
文化(ぶんか)5年 (1808年) |
『山陵志』を出版します。(41歳) |
文化10年 (1813年) |
赤痢になり、生涯を閉じます。(46歳) |