蒲生君平
「前方後円墳」はどのようにして名付けられたのか

蒲生君平(がもうくんぺい)は、二度にわたる近畿地方(きんきちほう)・四国地方(しこくちほう)への古墳調査を行い、数多くの天皇陵を調査し、その調査結果を『山陵志(さんりょうし)』にまとめました。
君平は、古墳を訪ね歩き、地元での聞き取り調査を丹念に行いました。
特に地名について念入りに調査した結果、「車塚(くるまづか)」の名が多いことがわかり、古墳は死者を運ぶ車をかたどったものと考えるようになりました。
そのため、前方部を車を引く取っ手の部分、後円部を柩(ひつぎ)を乗せる台座の部分、中間の左右にせり出した部分を車輪と想定し、「前方後円墳」とする考えに至ったそうです。