戊辰戦争 | |
宇都宮城攻防戦はどのように展開されたか |
宇都宮藩は官軍(かんぐん・・・新政府側)につきました。
宇都宮城は会津若松城(あいづわかまつじょう)などとともに、大規模な戦闘が展開された数少ない城の一つです。
慶応(けいおう)4年 (1868年) | 4月11日 | 宇都宮、日光を目指して、大鳥圭介(おおとりけいすけ)らの旧幕府軍が北上を開始しました。 |
4月18日 | 大鳥圭介率いる旧幕府軍と宇都宮藩兵が戦っている最中、土方歳三(ひじかたとしぞう)らの率いる別働隊が、夜に宇都宮城に攻め入り、宇都宮城は落城しました。 | |
4月23日 | 午後3時過ぎ、官軍の第二、第三宇都宮城救援隊が到着しました。 旧幕府軍は抵抗しましたが、結局城を捨て、二荒山(ふたあらやま)や八幡山(はちまんやま)を占拠し、陣を構えて防戦しました。 第一宇都宮城救援隊も駆けつけ、官軍と旧幕府軍との砲撃戦が始まりました。 その結果、旧幕府軍は北に敗走しました。 戦いが終わったのは午後8時過ぎでした。 | |
4月24日 | 戸田忠恕(とだただゆき)は、宇都宮城を官軍から受け取りましたが、2回の戦いによって城下のほとんどが焼失してしまいました。 |
戊辰役宇都宮城攻防図(部分)(宇都宮市 曹洞宗光明寺蔵)