山本有三
山本有三はどのような作品を残したか


山本有三文学碑


有三は、母の影響で小さい頃から演劇に興味をもっていました。

22歳のときにはもう、初めての戯曲「穴」を書き上げています。これは、その年の夏休みに足尾銅山(あしおどうざん)を訪ねて、そこで働いている人たちの生活を見て書いたものです。

作品のできもすばらしく、数多く上演されました。


25歳のとき、東京帝国大学(とうきょうていこくだいがく)(現在の東京大学)に入学し、卒業後は劇作家や大学の先生となって活躍しました。

昭和に入ると、小説も書き始めるようになり、特に昭和12年(1937年)から朝日新聞に連載された「路傍(ろぼう)の石」は有名です。


この作品の主人公は、家が貧しいために学校へ行くことができず、呉服屋へ奉公に出される吾一という少年です。

負けず嫌いでとても勉強が好きな吾一が、いろいろと苦労を重ねながら、強く正しく生きていく姿が描かれています。

「路傍の石」に出てくる「たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない人生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか。」という有名な言葉は、栃木駅前(とちぎえきまえ)と太平山謙信平(おおひらさんけんしんだいら)に碑(ひ)となって残されています。

その他の代表作・・・「生きとし生けるもの」「波」「風」「女の一生」「真実一路」