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とちぎと『おくのほそ道』 |
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とちぎと『おくのほそ道』 |
芭蕉と曾良
元禄(げんろく)2年(1689年)3月27日(太陽暦5月16日)、松尾芭蕉(まつおばしょう)は、門人曾良(そら)をともない『おくのほそ道』の旅に出ました。
奥州(おうしゅう)〔東北地方(とうほくちほう)〕の歌枕(和歌に詠まれてきた名所)を訪ねて、古人の心を探り、風雅の伝統を受け継ごうとする気持ちからであり、また、自分たちの俳風を東北の地にも広めようとする意図もありました。
『おくのほそ道』は俳諧紀行文(はいかいきこうぶん)という新しい文学形態をめざしたものであり、事実の記録ではありませんが、供をした曾良が詳細な日記を残しており、芭蕉の旅の様子を知ることができます。
それによれば、3月28日に間々田(ままだ)に泊まっており、ここからが下野の国(しもつけのくに)ということになります。