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修験光明寺 |
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修験光明寺(しゅげんこうみょうじ) |
ここは、修験者が曰く、一本足の高歯の下駄がおいてあったそうです。
芭蕉(ばしょう)は、祭神の健脚にあやかろうと、遥か北の奥羽の山々を見やりながら、足駄(あしだ)に旅の安全を祈ったのでしょう。
今は残念ながらお寺は焼失してしまったそうです。
光明寺は、文治(ぶんじ)2年(1186年)に那須与一(なすのよいち)が阿弥陀仏(あみだぶつ)を勧請(かんじょう)して建立しましたが、後に廃絶し、1504~1521年〔永正(えいしょう)年間〕津田源弘(つだもとひろ)により修験堂として再興されました。
明治維新の際に廃絶され、今は跡形もないほどに荒廃しています。
芭蕉が訪れた当時の住職は第7代権大僧都(ごんのだいそうづ)津田源光(つだもとみつ)でした。
津田源光の妻は、浄法寺桃雪(じょうほうじとうせつ)の妹にあたります。
夏山に 足駄を拝む かどでかな
修験光明寺跡の石碑