信生法師集
『信生法師集(しんしょうほうししゅう)』 矢板川崎城(やいたかわさきじょう)での別れ


塩谷朝業の墓(矢板市)

宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)の弟、宇都宮朝業(うつのみやともなり)〔塩谷朝業(しおのやともなり)〕は、塩谷郡(しおやぐん)の川崎城〔現在の矢板市(やいたし)川崎(かわさき)〕の城主でしたが、兄とともに出家し、信生法師といい、京都(きょうと)に住みました。
信生は和歌集の『信生法師集』を書きましたが、その前半は紀行文です。

1225年に京を出発し、鎌倉(かまくら)の源実朝(みなもとのさねとも)の墓参りをし、信濃国(しなののくに)善光寺(ぜんこうじ)をへて、故郷矢板の川崎城にもどり、子どもに会いますが、泣く子を残して再び別れ、京に向かうことが書かれています。
矢板市川崎の長興寺(ちょうこうじ)に信生の墓があります。


川崎城跡(矢板市)


川崎城配置図