川上澄生 | |
川上澄生の略年表 |
川上澄生の略年表
明治(めいじ) 28年(1895年) |
4月10日、横浜市(よこはまし)に生まれます。本名は澄雄(すみお)といいます。 |
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明治45年 (1912年) |
青山学院中等科卒業、同高等科に入学します。(17歳) ・このころより、雑誌に口絵やカット、詩などを応募するようになります。 |
大正(たいしょう)2年 (1913年) |
「秀才文壇(しゅうさいぶんだん)」の口絵募集に平峰劉吉(ひらみねりゅうきち)の名で応募、2等賞となります。1等賞は濱田象二(はまだしょうじ)〔庄司(しょうじ)〕です。(18歳) |
大正7年 (1918年) |
父の勧めでカナダのヴィクトリアに渡ります。シアトルを経て翌年アラスカで鮭罐製造(さけかんせいぞう)の仕事に就きます。 翌年10月帰国します。(23歳) |
大正9年 (1920年) |
第2回創作版画協会展(そうさくはんがきょうかいてん)に「黒き猫」で初入選します。(25歳) |
大正10年 (1921年) |
栃木県立宇都宮中学校(現在の宇都宮高等学校)の英語教師になります。(26歳) |
昭和(しょうわ)3年 (1928年) |
卓上社(たくじょうしゃ)を結成します。日本創作版画協会会員となります。(33歳) |
昭和6年 (1931年) |
日本版画協会が結成され、会員として参加します。(36歳) |
昭和17年 (1942年) |
宇都宮中学校を退職します。(47歳) ・国画会同人に推挙され、翌年会員となります。 |
昭和24年 (1949年) |
栃木県宇都宮女子高等学校講師となります。(54歳) ・第1回栃木県文化功労賞(とちぎけんぶんかこうろうしょう)を受賞します。 |
昭和33年 (1958年) |
栃木県立宇都宮女子高校を退職します。(63歳) |
昭和42年 (1967年) |
勲四等瑞宝章(くんよんとうずいほうしょう)を受けます。(72歳) |
昭和47年 (1972年) |
9月1日、心筋梗塞(しんきんこうそく)のため宇都宮の自宅で死去します。(77歳) |