那須の酪農家
那須野が原(なすのがはら)とはどういうところだったのか


開拓当初の那須野が原(那須野が原博物館提供)


開拓当初の「水くみ」風景(那須野が原博物館提供)

・人を寄せつけない土地、那須野が原には枯れ野が広がっていました。
現在のようにパワーショベルなどのない時代には開拓の作業はすべて手作業であり、作業に追われた農民は作物を作る以前の問題で忙しい状況でした。

・那須野が原は台地で、水持ちが悪いという独特な地質のため、井戸を掘ることは大変に困難でした。
農民が水を確保するためには遠く離れた川まで歩いて水をくみに行かなくてはなりませんでした。
生活用水ですら確保することが大変な状況だったため、作物に与える大量の農業用水など確保することは夢のようでした。

・開拓したばかりの土地はやせていてなかなか作物が育ちませんでした。
また、那須岳(なすだけ)付近から吹き下ろす風は大変に寒く、当時の建物でその寒さをしのぐことは大変に厳しいものでした。
そのような冷涼な環境でもあり、作物の育ちは大変に悪かったのです。

・そのため限られた収入だけで生活していくことは大変に苦しいものでした。
開拓のつらさから那須野が原から去る人も少なくなかったのです。

・現在に至るような生活は、人々が生活用水として、また、農業用水としてみんなで力を合わせて那須疏水(なすそすい)を引いてから形成されたものです。