日光二荒山神社
日光二荒山神社はどのような歴史を刻んできたか

(1)日光山開山から江戸時代(えどじだい)まで

勝道上人(しょうどうしょうにん)によって男体山(なんたいさん)の登頂に成功し日光山は開山されました。

その際、勝道上人によって建てられた奥宮(おくみや)、中禅寺(ちゅうぜんじ)、本宮神社(ほんぐうじんじゃ)などが二荒山神社のもととされています。

当時は現在「二社一寺」のような明確な区分はなく、日光山の神を祀る(まつる)神社として二荒山神社はその他の社寺と運命をともにしてきました。


(2)江戸時代

徳川家康(とくがわいえやす)が神として日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)に祀られたこともあり、日光は大きく繁栄しました。

日光二荒山神社も例外ではありませんでした。


(3)近代

明治(めいじ)時代に入り神仏分離令(しんぶつぶんりれい)が出されました。

それまで日光の社寺には、神と仏の区別はありませんでしたが、この令により現在の「二社一寺」の形に変わりました。

本宮神社や滝尾神社(たきのおじんじゃ)が日光二荒山神社の別宮(べつぐう)として本社から離れた場所にあるのは、これらの影響であるともいわれています。