下野国分寺・国分尼寺跡
国分寺・国分尼寺はなぜつくられたのか

(1)奈良時代(ならじだい)の中ごろの国内の様子

①自然災害…日照り、台風、地震の発生。そのせいで飢饉(ききん)が起きました。

②伝染病…大陸から恐ろしい伝染病である天然痘(てんねんとう)が伝わり、多くの人々が死にました。

③外国との関係…朝鮮半島(ちょうせんはんとう)の国〔新羅国(しらぎこく)〕と、とても仲が悪くなりました。

④反乱…天皇の親戚や家来たちによる反乱が起き、激しく戦いました。


(2)聖武天皇(しょうむてんのう)の考え

①聖武天皇は、乱れてしまった国を安定させるため、仏教の力を借りることにしました。

②741年、都には東大寺(とうだいじ)を、全国およそ60か所には「国分僧寺(こくぶんそうじ)」と「国分尼寺(こくぶんにじ)」をそれぞれ造るうに命じました。

③どの国分寺にも、七重塔とお釈迦様の像を造るように命じました。

④国分寺を建てる場所は、その国の最も良い場所を選ぶように命じました。

(交通の便がよいところ、災害が少ないところ、人があまり住んでいないところ)

⑤国分寺を造るための費用は、すべて税金を使い、人々には、お金や物を出させるだけでなく、労働者として寺院造りをするよう命じました。