下野国分寺・国分尼寺跡
国分寺・国分尼寺とはどのようなものか

正式には国分僧寺(こくぶんそうじ)は「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺は「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」といい、二つセットで「国分寺」といいます。

それぞれのお寺に「金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)」、「妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)」が納められ、役人から命じられた僧侶が派遣されました。

国分僧寺には男性の僧20人、国分尼寺には女性の僧(尼)10人が勤めていました。

国分寺は、地方における仏教文化発信の中心地でした。