宇都宮城跡 | |
将軍の日光社参(にっこうしゃさん)と宇都宮城はどのような関わりがあったか |
将軍家の日光社参〔東照宮(とうしょうぐう)に将軍が参詣(さんけい)すること〕では、往路は岩城城(いわきじょう)、古河城(こがじょう)、宇都宮城の3城に宿泊し、4日目に日光に入るのを常としていました。
帰路は、17世紀までは、壬生(みぶ)通りを通り、壬生城に宿泊することもありましたが、吉宗(よしむね)以降は帰路も日光道中を通り宇都宮城に宿泊しています。
日光社参は、大勢の行列をともなう壮大な規模で実施されました。宇都宮城は、江戸時代(えどじだい)を通じて将軍の日光社参と密接な関係をもっていたのです。
・将軍家の日光社参の回数19回
・多くが徳川家康(とくがわいえやす)の命日である4月17日に行われる東照宮の大祭に合わせて実施されました。
宇都宮城への宿泊
・2代将軍 秀忠(ひでただ) 4回
・3代将軍 家光(いえみつ) 10回
・4代将軍 家綱(いえつな) 2回
・8代将軍 吉宗(よしむね) 1回
・10代将軍 家治(いえはる) 1回
・12代将軍 家慶(いえよし) 1回