宇都宮城跡
宇都宮城跡はどのように移り変わってきたか

慶応(けいおう)4年(1868年)戊辰戦争(ぼしんせんそう)によりほとんどの建築物は焼失してしまいましたが、堀や土塁などは、江戸時代(えどじだい)とほとんど変わらない姿で残されていました。

しかし、旧城跡を管轄していた陸軍省は、この地を払い下げる方針をとり、明治(めいじ)23年(1890年)、広大な敷地が旧藩主や町・町民に払い下げられました。

そして、次第に堀や土塁が埋め立てられたり、削られたりして宇都宮城をしのぶものは、ほとんど姿を消してしまいました。

旭町(あさひちょう)の大銀杏は、本田正純が植えたものと伝えられ、今もこの根元は周囲よりわずかながら高くなっていて、三の丸土塁の名残があります。