例弊使街道
例幣使とはどのようなものか

江戸時代(えどじだい)、朝廷は伊勢神宮(いせじんぐう)〔三重県(みえけん)〕や日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)に奉幣(ほうへい)(神に供える品物を納めること)を行う勅使(ちょくし)(天皇の使者)を毎年派遣しました。

これらの人々を例幣使といい、彼らが利用した街道であることから例幣使街道と名付けられました。

日光東照宮に派遣される例幣使は、正式には日光例幣使(にっこうれいへいし)といいます。

日光例幣使として選ばれたのは公家の人々で、この制度は正保(しょうほう)3年(1646年)から慶応(けいおう)3年(1867年)までの221年間、一回も中止することなく続けられたそうです。

一行は50~70人ほどの集団で、毎年4月1日に京都(きょうと)を出発し、中山道(なかせんどう)・例幣使街道を通り、4月15日に日光に到着しました。

そして16日に持参した供え物〔金紙の幣束(へいそく)〕を納め、帰りは宇都宮(うつのみや)、江戸を経由し東海道(とうかいどう)で京都に帰るのが一般的でした。