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例弊使街道 |
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例幣使街道の沿道はどのように発展したか |
例幣使街道は本来、年に一度だけ例幣使が日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)に供え物を納めるために使われた道でしたが、しだいに北関東(きたかんとう)や東北地方(とうほくちほう)と中山道(なかせんどう)を結ぶ道として利用されるようになりました。
そして、それにともない宿場(しゅくば)も発展していきました。
なかでも栃木(とちぎ)宿は町の中心を流れる巴波川(うずまがわ)を利用した船による運送が盛んとなり、商業都市として大きく発展しました。
現在でも巴波川沿いには蔵の町並が残り、当時のにぎわいが感じられます。
また、江戸(えど)を通らずに京都(きょうと)まで行くことができるこの道は、あまり費用がかからずに藩士(はんし)や各種番役を京都や大阪(おおさか)に派遣できたということも、この街道が発展した理由の一つです。