足尾銅山の歴史
田中正造(たなかしょうぞう)はどのようなことをしたか


渡良瀬遊水地

(1)県会議員を経て明治(めいじ)23年に衆議院議員となり、政府に足尾銅山(あしおどうざん)の鉱山被害について質問書を提出しました。

(2)明治34年、明治天皇へ直訴(じきそ)しましたが失敗し、その後鉱毒問題は治水問題にすりかえられ、谷中村(やなかむら)を遊水地とする対策がとられました。

(3)正造は買収予定の谷中村に移り住み、村民とともに遊水地化反対運動を展開しました。

(4)明治40年(1907年)に谷中村は強制廃村となりましたが、正造は生涯を鉱毒問題のためにささげました。