周辺の歴史 その5

5 古代の人名-上神主・ 茂原官衙遺跡その2-
 
○この遺跡最大の特徴は、正倉域にある31.4m×9.0mの規模をもつ建物の屋根に葺(ふ)かれていたとみられる多数の瓦が出土し、このうち人名が刻まれているものだけでも約2300点もある点です。


○人名は18姓、94名が確認でき、これほど多くの人名瓦が見つかった遺跡は、他にないそうです。


○具体的に人名をみてみると、「酒部毛人」「神主部牛万呂」「大麻(続)古万呂」など、河内郡内の郷名と一致するものや、「雀部称万呂」「川和子万(呂)」のように、中世以降にみられる周辺の地名(雀宮、川名子)との関連が推測されるものなどがあります。


○ところで、なぜ瓦にこうした人名が刻まれたのでしょうか。皆さんも近くの寺院や神社などで、鳥居や灯籠などに人名が刻まれている場合があることに気づくことと思います。あれは、それらの造営にお金を出して協力した人々の名前です。同じように考えると、瓦の人名は、この瓦の製作費を負担した周辺の有力者、あるいは造営の労役に関わった人々を記録したものと推測されるのです。


○なお、名前の最後につくことの多い万(麻)呂は、大切な人やものの最後につく接尾語で、中世において人の幼名や刀、鎧(よろい)などにつく「丸」も、その名残ではないか、とする考え方もあるのです。