周辺の歴史 その13

13 田村仁左衛門吉茂と『農業自得』-その1-
 
○江戸時代中期、8代将軍吉宗のころから、下野の農業は極度の不振におちいりました。しかもこれに年貢の増徴、商品経済の発達による諸物価の値上がりと、それにともなう米価の値下がりなど、農業経営に不利な条件がいくつも重なります。


○さらに宝暦年間(1751~64)以降、冷害や風水害による凶作が連続したため、農業の不振に拍車がかかり、その結果出稼ぎや欠落(かけおち、家を出てしまうこと)、病死などで農家がつぶれ、農村の衰えが激しくなっていったのです。


○しかしその一方で、こうした状況に危機感をもち、農業技術を改良して農村の復興を図ろうとする人々もあらわれました。その一人が、下蒲生村(今の上三川町下蒲生)の名主田村仁左衛門吉茂(たむらにざえもんよししげ)でした。


○田村家はもともと村内で最も豊かな農家でしたが、18世紀なかばには経営に行き詰まり、一時は破産状態にまでおちいりました。

 

○寛政2年(1790)に生まれた吉茂は、幼いころは勉学に必ずしも熱心ではありませんでしたが、父吉茂とともにこうした危機的状況から脱するために、農業に励んでいきました。そして、この経験の中から、やがて独自の農法を見いだしていったのです(次回へ続く)。