那須国造碑
那須国造碑とはどのようなものか

那須地方を治めた「那須直韋提(なすのあたいいで)」という人物の活躍をたたえて、その息子たちが、西暦700年ごろに建てました。
それまで那須国造(那須国の支配者)だった豪族・韋提が、689年に、大和朝廷(やまとちょうてい)から「評督(こおりのかみ)」という役人に任命されたこと、韋提が700年1月に亡くなったことなどが、漢字152文字で書かれています。文章の中には、「永昌(えいしょう)」という中国の年号が使われています。

やはり奈良時代(ならじだい)に造られた群馬県(ぐんまけん)吉井町(よしいちょう)の「多胡碑(たごひ)」、宮城県(みやぎけん)多賀城市(たがじょうし)の「多賀城碑(たがじょうひ)」と合わせて、「日本三古碑(にほんさんこひ)」と呼ばれていますが、その中でも最も古いものといわれています。

現在は国宝に選ばれ、笠石神社(かさいしじんじゃ)の御神体として大切に保存されています。