日光和楽踊り
日光和楽踊りはどのようにして生まれたのか

大正(たいしょう)2年(1913年)9月6日に大正天皇(たいしょうてんのう)が、翌7日に貞明皇后(ていめいこうごう)が前例のない民間工場視察に古河電工日光事業所の前進である日光電気精銅所に来訪したことがきっかけで生まれた民謡です。

日光精銅所では、その夜、従業員一同で祝宴を催しましたが自然発生的に歌い踊られたのが由来とされます。

会社の人々はこの天皇の訪問を栄誉とし、毎年の記念行事にし後世に伝えようとしました。

当時の鈴木所長や佐竹経理課長がこれを国や県に願い出ました。

当時はまだ自由に盆踊り式のものはできませんでしたが、模範的なものを創るという鈴木所長の熱意が叶い、次のような条件付きで特別に認められました。


(1)歌詞は卑俗なものをさける

(2)風俗を乱さぬよう明るくする

(3)時間は夜の12時でやめる

(4)服装を一定にする

(5)踊りの種類は「手踊り」「笠踊り」「石投げ踊り」の三種類に限る


※「石投げ踊(おど)り」とは足尾銅山(あしおどうざん)より日光に伝えられ、鉱石をより分ける「選鉱作業」の動作を表していると言われます。