二宮尊徳
尊徳の略年表

尊徳の略年表

天明(てんめい)7年
(1787年)
現在の神奈川県(かながわけん)小田原(おだわら)で生まれます。
寛政(かんせい)12年
(1800年)
父が亡くなります。母を助け、家計を支えます。(14歳)
享和(きょうわ)2年
(1802年)
母が亡くなります。一家離散し、金次郎(きんじろう)は伯父宅に寄食します。(16歳)
享和3年
(1803年)
菜種を栽培し、夜学の灯とします。(17歳)
文化(ぶんか)3年
(1806年)
生家の復興に成功します。(20歳)
文化9年
(1812年)
小田原藩(おだわらはん)家老(かろう)服部家(はっとりけ)の財政立て直しを成功させます。(26歳)
文政(ぶんせい)5年
(1822年)
下野国桜町領(しもつけのくにさくらまちりょう)〔栃木県(とちぎけん)真岡市(もおかし)二宮町(にのみやまち)〕周辺の復興の命を受けます。(36歳)
文政10年
(1827年)
桜町の復興がうまく進みません。(41歳)
文政12年
(1829年)
桜町より消息不明となります。成田山(なりたさん)にこもって断食(だんじき)をします。桜町領の125人の出迎えで帰村します。以後、桜町仕法は順調に進みます。(43歳)
天保(てんぽう)4年
(1833年)
天保のききんがおこりますが、ききんを予測して、稗(ひえ)を栽培することで人々を救います。(47歳)
嘉永(かえい)6年
(1853年)
日光(にっこう)神領(しんりょう)の復興の命を受けます。(67歳)
安政(あんせい)3年
(1856年)
栃木県(とちぎけん)今市(いまいち)〔現在の日光市(にっこうし)〕で永眠します。(70歳)