矢板武と印南丈作
矢板武と印南丈作の略年表

矢板武と印南丈作の略年表

年 代 矢板 武 印南 丈作
天保(てんぽう)
2年(1831年)
日光入町本町で生まれます。
嘉永(かえい)2年
(1849年)
矢板村(やいたむら)坂巻家(さかまきけ)に生まれます。
嘉永3年(1850年)
印南丈七の養子になり、丈七の長女トメと結婚します。
安政(あんせい)6年
(1859年)
父、五右衛門(ごえもん)が死亡し、坂巻家の当主となります。
慶応(けいおう)2年
(1866年)
矢板村組頭(くみがしら)となります。 関東取締寄場(かんとうとりしまりよせば)組合35か村取締となります。
明治(めいじ)2年
(1869年)
矢板村名主となります。
明治3年
(1870年)
黒崎七郎右衛門(くろさきしちろうえもん)の娘ハマと結婚します。
明治13年
(1880年)
那須開墾社(なすかいこんしゃ)の幹事となります。 那須開墾社を設立し、社長に就任します。
明治15年
(1882年)
飲用水路工事が完成し、水が通ります。しかし、大水路の必要を強く感じ、印南と共に上京します。
明治18年
(1885年)
那須疏水の起工式を行います。
明治19年
(1886年)
矢板村村会議員となります。
明治21年
(1888年)
印南の死後、那須開墾社の社長となります。 1月7日、没します。
明治27年
(1894年)
矢板農場を発足させます。矢板信用組合(やいたしんようくみあい)も設立します。
明治30年
(1897年)
県会議員となります。
明治32年
(1899年)
矢板銀行や氏家銀行(うじいえぎんこう)を創立します。
明治40年
(1907年)
日光銀行(にっこうぎんこう)を創立します。
大正(たいしょう)元年
(1912年)
下野新聞社(しもつけしんぶんしゃ)社長となります。
大正11年
(1922年)
3月22日、没します。