矢板武と印南丈作
矢板武の一生をさぐってみよう

那須野が原(なすのがはら)開拓の恩人として有名ですが、矢板市(やいたし)発展の恩人でもあり、郷土の偉人です。
幼くして両親を亡くしましたが、祖母と伯父の深い愛情を受けて育ち、幼い頃から勉学を続け、生まれ持ったかしこさに磨きがかけられました。
温和な性格の中に、何事にもひるまない強い意志を持って、政治や経済、産業、教育、文化などいろいろな方面にわたって活躍しました。

明治(めいじ)12年(1879年)には、県議会議員に選ばれ、責任の重い地位につく一方、那須野が原の開拓に大変な情熱を燃やしました。
国道4号線の建設や東北本線の開通にも、大きな力を尽くしました。
また、那須野が原に矢板農場を経営する一方、銀行の経営にも力を入れました。
宇都宮(うつのみや)に下野銀行を設立し頭取となり、地元の矢板でも武が中心となって矢板銀行を設立しました。
さらに、下野新聞社社長なども次々と務め、地域の産業と経済の発展に力を尽くしました。
自費で農場内に教室を設けて、子どもたちの教育にも力を注ぎました。
社会の発展に尽くした矢板武に、国から数々の功労賞がおくられました。

大正(たいしょう)11年(1922年)3月22日、73歳で一生を終えました。