勝道上人
勝道上人は、どのようにして僧になったのか

下野の生んだ名僧、勝道上人は天平(てんぴょう)7年(735年)、現在の真岡市(もおかし)南高岡(みなみたかおか)で生まれたと伝えられています。
父は下野国府(しもつけこくふ)の役人、若田高藤(わかたたかふじ)で、母は国府に神主としてつとめていた吉田主典(よしださかん)の娘、明寿(みょうじゅ)と言われています。

母の実家で誕生した上人は、幼名を藤糸丸(ふじいとまる)といいました。
この誕生の地にはのちに仏生寺(ぶっしょうじ)が建てられました。
仏生寺は、八溝山地(やみぞさんち)の西斜面にあたる錫杖ヶ峰(しゃくじょうがみね)のふもとにあり、山門の両脇には、樹齢約700年の大ケヤキがそびえています。

勝道上人は、幼い頃から神童と呼ばれ、若い頃には、栃木市(とちぎし)北西の出流山(いずるさん)の岩くつに入り、3年間、仏の道を修行しました。
その後、さらに3年間、山深くわけいって苦行を重ねた後、下野薬師寺(しもつけやくしじ)に行き、鑑真和上(がんじんわじょう)の弟子に仏教の教えを受け、僧の資格をさずかりました。