下野薬師寺跡
下野薬師寺はどのようにして創建されたのか

下野薬師寺がいつ建てられたのか、正確な記録は残されていません。

大化の改新(たいかのかいしん)(645年)の後、国内に仏教が広まるようになると、豪族たちは寺院を造るようになりました。

下野薬師寺は、「下毛野氏(しもつけぬし)」という一族が、自分たちのための寺として建てたものであると言われています。

下野薬師寺の創建は、天智天皇(てんちてんのう)9年(670年)とも、大宝(たいほう)3年(703年)とも伝えられています。


701年に完成した日本で初めての法律集(ほうりつしゅう)「大宝律令(たいほうりつりょう)」を作ったメンバーの中に、「下毛野朝臣古麻呂(しもつけのあそんこまろ)」という人物がいて、下野薬師寺を建てるのに深くかかわっていたといわれています。

古麻呂は、下野国の出身者であると考えられる人物で、天皇の信頼を受け、朝廷内で大臣をいくつも務めるなど大活躍をしました。