(1)各展覧会などの出品を通じて評価を高めると、作風の影響を受けた陶器が益子(ましこ)の窯元(かまもと)からも生産されるようになります。
(2)民芸益子焼が誕生し、益子は海外にも知られる窯業地(ようぎょうち)となります。
(3)昭和(しょうわ)30年(1955年)、人間国宝に認定され、日用の器の美しさを芸術的に高めた多くの作品を作りました。民芸運動にも寄与したことにより昭和43年(1968年)には文化勲章(ぶんかくんしょう)を受けます。