日光山輪王寺
日光山輪王寺の略年表

日光山輪王寺の略年表

天平神護(てんぴょうじんご)2年
(766年)
勝道上人(しょうどうしょうにん)が男体山(なんたいさん)の登頂を目指し、大谷川(だいやがわ)のふもとに草庵(そうあん)〔のちの四本竜寺(しほんりゅうじ)〕を結びます。
弘仁(こうにん)元年
(810年)
嵯峨天皇(さがてんのう)より満願寺(まんがんじ)の寺号を賜り(たまわり)ます。
嘉祥(かしょう)元年
(848年)
円仁(えんにん)が来山し、天台宗(てんだいしゅう)の寺院となります。
久安(きゅうあん)元年
(1145年)
16世別当〔(べつとう)(日光山を統括する役職)〕聖宣により、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)をまねて常行堂(じょうぎょうどう)を建立します。
治承(じしょう)元年
(1177年)
別当職をめぐる争いが生じ、多くの堂塔(どうとう)を焼失します。
承元(じょうげん)4年
(1210年)
24世別当弁覚(べんかく)により山内の堂が再建されます。
仁治(にんじ)元年
(1240年)
弁覚により光明院(こうみょういん)が創設されます。
慶長(けいちょう)18年
(1613年)
53世貫主(かんしゅ)(寺院を統括する職)として天海(てんかい)が日光山へ入山します。
寛永(かんえい)18年
(1641年)
豊臣秀吉(とよとみひでよし)による寺領没収後の荒廃した光明院の復興に努めます。
承応(じょうおう)3年
(1654年)
天海により現在の輪王寺の場所に光明院を移転します。
明暦(めいれき)元年
(1655年)
後水尾天皇(ごみずのおてんおう)の第3皇子守澄法親王(しゅちょうほっしんのう)を55世貫主として迎えます。
明治(めいじ)2年
(1869年)
守澄法親王が輪王寺宮の号を賜ります。この時に光明院を輪王寺と改めます。
平成(へいせい)11年
(1999年)
ユネスコの世界遺産として登録されます。