西明寺
歴史

西明寺に伝わるところでは、天平(てんぴょう)4年(731年)、行基菩薩の草創で、天平11年(739年)、落成(らくせい)を祝う供養が行われたといわれています。

延暦(えんりゃく)元年(782年)には一山12坊を数えて大いに栄え、また延喜(えんぎ)5年(905年)には観音像が造られました。

しかし、約220年後の大治(だいじ)2年(1127年)に兵火にあって堂塔12坊とも焼失してしまいました。

その後、治承(じしょう)2年(1178年)、堂塔が再建され、承元(じょうげん)3年(1209年)には本堂が修理されました。

さらに建長(けんちょう)7年(1255年)、平時頼(たいらのときより)によって七堂伽藍が再興されて壮麗を極めました。

正平(しょうへい)6年(1351年)には再び兵火にあいましたが、約40年後の応永(おうえい)元年(1394年)、益子勝直(ましこかつなお)によって再建され、明暦(めいれき)元年(1492年)には楼門が、天文(てんぶん)7年(1538年)には三重塔(さんじゅうのとう)が建立されました。

その後、元禄(げんろく)14年(1701年)には本堂の再建、正徳(しょうとく)4年(1714年)には閻魔堂(えんまどう)の建立、享保(きょうほう)7年(1722年)には鐘楼の再建がなされ、現在の形になったといわれています。