西明寺
巡礼の札所として

鎌倉時代(かまくらじだい)に東国〔関東(かんとう)〕に住む人たちの間で、西国霊場にならってつくられたのが、坂東三十三カ所霊場だといわれています。

この霊場を参拝するのが、坂東三十三カ所観音札所巡礼です。

東国の武士たちが、平家討伐の際に西国(西日本)に行き、直接西国の札所を参拝したことが、坂東札所の創設につながったともいわれています。


鎌倉を出発点に、相模(さがみ)〔神奈川(かながわ)〕→武蔵(むさし)〔東京(とうきょう)〕→上野(こうずけ)〔群馬(ぐんま)〕→下野(しもつけ)〔栃木(とちぎ)〕→安房(あわ)〔千葉(ちば)〕を巡る順路で巡礼が行われました。

室町(むろまち)中期以降になると、一般庶民の巡礼も始まり、江戸時代(えどじだい)には各霊場とも多くの参拝者でにぎわいました。

江戸時代以降は必ずしも順路通りに巡礼することはせず、道路の関係などで、便利な行程が組まれたようです。

西明寺(さいみょうじ)は、その坂東三十三カ所観音札所巡礼の第二十番札所として、多くの巡礼者・参拝者を迎えてきました。

また、後につくられました、下野三十三カ所観音巡礼の第十三番札所にもなっています。