田中正造
当時、足尾(あしお)でどんな問題が起きていたのか

渡良瀬川(わたらせがわ)下流の一帯は、昔から米のよくとれる、大変豊かな土地でした。
ところが、銅の生産が増えるとともに、この豊かな大地がむしばまれ始めました。
川の水がにごり、かえるや魚が白い腹を見せて浮かび上がりました。
水につかった足の指がはれあがったり、種をまいても作物の芽が出なかったりという、不思議なできごとが続きました。
また、井戸水を飲めば必ず下痢をし、小さい子の死亡率も異常なほど増えていきました。
川に何か毒でも流れているのか、足尾銅山の工場から流れ出る水が原因ではないかと、村人も心配するようになりました。
山の木々も工場から出る煙のせいか、春になっても芽が出ず枯れていったのです。
明治(めいじ)23年(1890年)8月、渡良瀬川一帯の村は、これまでにない大洪水にみまわれ、足尾銅山の鉱毒によるものと思われる被害が大きく広がりました。