同窓会 会長 ごあいさつ

ご挨拶

同窓会会員の皆様におかれましては、益々ご健勝でご活躍のこととお慶び申し上げます。また、日頃より同窓会の運営にあたりまして、ご理解とご協力を賜り、衷心より厚く感謝申し上げます。

私は、前中村國司同窓会長の後任として、令和4年6月に開催されました理事会におきまして理事の皆様から推挙を受け総会での承認をいただき、歴史ある栃木県立鹿沼商工高校の9代目同窓会長をお引き受けすることになりました。はなはだ微力ではございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

まず、自己紹介をさせていただきます。私は、昭和46年4月鹿沼農商高校商業科に入学致しました。翌年、2年生になった昭和47年4月には農業と商業が分離し、新しく鹿沼農業高校と鹿沼商工高校が誕生しました。私たちの学年が鹿沼農商高校として最後の入学生となりました。そして、3年生になる昭和48年には、新しい校歌(現在の校歌)が誕生しました。新しい校歌は以前の校歌と比べると全く斬新で、その歌詞に衝撃を受け、当初は歌うのが恥ずかしかったことを思い出します。従いまして私たちの学年は、農商時代の校歌と商工になって制定された新しい校歌の両方を歌うことができる学年であります。卒業は昭和49年3月鹿沼商工高校として2期目の卒業生になります。このように、新しい学校として生まれ変わって行く時代の3年間を過ごしました。部活は野球部に所属し、ポジションはキャッチャーでした。成績は、秋の新人戦はベスト4、春はベスト8、夏の選手権大会はベスト8でした。作新学院高校の江川卓さんと同級生になり、あの大きな壁は一度も破ることができませんでした。

思い起こせば、校名が鹿沼商工高校になって50年にもなることに気づかされ、あの時から長い時間の経過を深く感じております。

さて、昨年の令和4年を振り返ってみますと、令和2年1月日本に上陸した新型コロナウィルス感染症は、未だに収束することなく、私たちの生活に大きく影響し続けていることに加え、2月にはロシアによるウクライナ侵攻、日米金利差の拡大により為替相場は急激に円安に向かい、原油や食料品など資源の多くを輸入する私たちの生活環境は、大きく変化し大変厳しい状況が続いております。更に、中国のゼロコロナ政策によるサプライチェーンの混乱から、半導体を中心とする部品や製品の調達が遅延し、事業者の皆様も大変なご苦労をされた年ではなかったでしょうか。

そのような激変する社会経済状況の中、本校へ令和2年4月に入学された生徒の皆様が、誰もが経験したことのないコロナウィルス感染症による環境激変の3年間を過ごされ、この3月に卒業を迎えられることは、生徒の皆様は勿論ですがご両親様におかれましても、感慨深いものがあると存じます。また、その対応に苦心されてきた先生方のご努力に敬意を表したいと思います。しかし、このような貴重な経験は、これから更に成長して行く生徒の皆様にとって、大いに意義のある宝物に変って行くものと確信しております。

同窓会の活動状況ですが、令和4年度会務事業計画に沿って進めております他、前会長や役員の方々から、今後の取り組みの課題をいただいております。12月に開催致しました役員会において、その課題について情報交換し共有を図りました。

その課題について、いくつかご報告させていただきます。

一つ目として、同窓会会則の改定、関連規約の整備

二つ目として、卒業生会記念碑(バックネット北側の記念碑)移設の検討

三つ目として、同窓会活動の活性化

四つ目として、学校ホームページ内の同窓会ページの活用

など、このような課題に、役員の皆様や会員の皆様のご理解とご協力をいただき、また、校長先生をはじめとする先生方とのコミュニケーションを大切に、一つ一つ対応し前進してまいりたいと考えております。

結びに、令和5年も、同窓会会員の皆様と母校鹿沼商工高校の益々のご発展を心よりご祈念申し上げ、実り多き1年となりますことを願い、ご挨拶とさせていただきます。

同窓会長 早山雅之