小山氏城趾
小山氏城趾(おやましじょうし)〔小山市(おやまし)〕

平安時代(へいあんじだい)の末から鎌倉(かまくら)・室町時代(むろまちじだい)にかけて、下野国(しもつけのくに)に強大な勢力を誇って(ほこって)いた名門、小山氏の城趾が小山市に残されています。

鷲城(わしじょう)や祇園城(ぎおんじょう)(小山城)長福寺城(ちょうふくじじょう)の3つの城が、思川沿い(おもいがわぞい)の丘陵(きゅうりょう)にあり、小山三城と呼ばれています。

かつての小山は、この三城と中久喜城(なかくきじょう)とをあわせもつ、一大城郭都市であったと言われています。