小山氏城趾
小山氏と初期の館

関東(かんとう)の名族小山氏は、平安時代(へいあんじだい)中ごろにおこった平将門の乱(たいらのまさかどのらん)を鎮めた藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の子孫で、源頼朝(みなもとのよりとも)の挙兵から平家追討・滅亡まで、頼朝に従って活躍した下野(しもつけ)最大の武士団でした。

とくに小山氏は、鎌倉時代(かまくらじだい)を通じ下野の守護として大きな勢力を誇りました。


初期の館跡(曲輪跡)

平安時代の末から鎌倉時代にかけて、小山政光(おやままさみつ)を頂点とし、朝政(ともまさ)・宗政(むねまさ)・朝光(ともみつ)のいわゆる小山三兄弟を中心に強固な小山武士団をつくっていた時代には、神鳥谷字曲輪(JR宇都宮線小山駅の南、1.3km付近)に館を構えていたと考えられています。

初期小山氏は、この館を本拠として下野国の役人の頂点に立ち、強力な武士団をつくっていました。