小山氏城趾
鷲城(わしじょう)

鷲城も小山城(おやまじょう)と同じように築城時期や築城者は明らかではありませんが、応安(おうあん)5年(1372年)年に小山義政(おやまよしまさ)は武蔵国(むさしのくに)太田荘の鷲宮を修築しており、この神を本城に勧進(かんじん)して鷲城と名づけたということですから、この頃鷲城が成立したものと考えられています。


内城の堀跡


鷲神社

鷲城跡(国史跡)は、小山市街地(おやましがいち)の南西に位置し、長い参道を歩いていくと鷲神社があります。

神社を中心とした緑地帯などが鷲城跡の見どころとなっています。
城の北と西側は自然の断崖をうまく利用していて、広さは東西約280メートル×南北約450メートルの規模で中城と西城からなっています。

この二つを分けている空堀(からぼり)と土塁(どるい)が現在もよく残されています。

中城のやや西寄りにある鷲神社の西の高まりが、本丸跡と推定されています。