校長室便り

中1講話「郷土の偉人 田中正造について」

本日6,7限目、旭城ホールで、中1のグローバル探究プログラムの一環として
田中正造~人と行動から考えるリーダー像~と題して、佐野市郷土博物館長の茂木克美先生の講話がありました。

2時間連続の講話で、前半は田中正造の生い立ち後半は足尾鉱毒事件などについて、お話してくださいました。

田中正造は、江戸時代の天保12年(1841年)11月3日に生まれ(奇しくも明治天皇と同じ誕生日でした。)、大正2年(1913年)9月4日に亡くなりました。

田中正造の晩年は、今大人気の「鬼滅の刃」の時代と重なるそうです。田中正造は、若い頃は刀剣が大好きで、常に身につけていたため、不法所持で警察に逮捕されたこともあるそうです。(「鬼滅の刃」の主人公たちは、銃刀法違反であるというお話に、生徒たちは身を乗り出して聞いていました。)


後半は、いよいよ足尾鉱毒事件がらみのお話です。明治天皇への直訴事件については、新聞社等のマスコミをうまく活用し、鉱毒の被害が世間に注目されるよう、考えをめぐらしていたことなど、現在のSNSによる広報戦略に先駆けていた面も紹介してくださいました。田中正造をロールモデル(お手本)として、本校生が身につける力の一つである「情報を発信する力」も群を抜いていたことがわかりました。


ところが、晩年になると、それまでのある意味バランスのとれた考えや行動から、鉱毒の被害を受けている農民などのことだけを考え、頑固に行動するようになり、支持者が離れていったそうです。しかし、田中正造が亡くなった後、その業績を後生に伝えてくれたのは、一時は田中正造から離れていった人達でした。
おそらく、田中正造の支持者が離れていった晩年の生き様がなかったら、ここまで、田中正造が、郷土の偉人として語り継がれることはなかったかもしれないですね、と茂木館長は帰りがけに校長室で話してくださいました。そこまで、私利私欲がない生き方だったのです。


最後に、附属中生のために、「田中正造から学ぶリーダー像」について茂木館長の考えを話してくださいました。


2時間にわたる講話でしたが、生徒は皆、茂木館長のお話をメモにとり、紙が足りない人は、持っていた別の紙にびっしりと書き込んでいました。講話の後、質疑応答の時間がありましたが、生徒からはひっきりなしに手が上がっていました。そして、最後に、生徒代表として松葉君からお礼の言葉がありました。それぞれの質問やお礼の言葉に、茂木館長は大変嬉しかった、さすがは附中生ですねと感心していました。

茂木館長、本当にありがとうございました。生徒の心に灯をともすようなお話でした。また、11月に行われる足尾での植樹体験に参加する意味や、自分がこれからどう生きていくか、などを考えるよい機会にもなりました。
現在、佐野市郷土博物館では、「田中正造が愛したもの」という企画展が11月29日まで開催されているそうです。今日の講話で田中正造に興味を持った人は、ぜひ見に行きましょう。

<講話メモ(3名分)>こんな感じです。


<主な感想>
・この講話を聞く前は「知っていることばかりだろう」と思っていたが、知らなかったことがたくさんあり、とても勉強になりました。
・田中正造さんの何歳になっても学び続ける心や、どんなに無視されても人々を救おうと努力する姿に感動しました。尊敬します。
・田中正造さんは、世の中が大きく変わっていった激動の時代に生きていて、それでもやはり、大切にしていたことは「人権尊重」「実行力」「学び続ける心」で変わらなかったことは凄いなと思いました。
・自分のためではなく、人のために政治家になり、正しいと思ったことを行動する姿はかっこいいなと思いました。