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田中正造翁103回忌に参加して参りました



9月4日(金) 一般財団法人「田中正造記念協会」主催田中正造第103回忌法要」が、春日岡山惣宗寺(佐野厄除け大師)で行われ、参加して参りました。
 郷土の偉人田中正造が、足尾銅山から流れ出す鉱毒の問題の解決を図るための最後の手段として天皇陛下に直訴した明治34年に、本校が創立されたことを本校生は知っていることと思います。

 正造翁の墓所の脇に石川啄木の歌碑が建っています。

夕川に葦は枯れたり

  血にまどう民の叫びの

  など悲しきや       

 当時、啄木は旧制盛岡中学(今の盛岡一高)3年在学中(旧制中学の3年生ですから今の中学3年生と同い年)でした。
 また当時の本校生も「月の渡良瀬川」と題し、「この下流は如何に惨状ならずや、鉱毒の田畑に侵入し、荒畑となりし幾万坪ぞ」と記すなど、当時の若者も、鉱毒の惨状から強い衝撃を受け、また正造翁の行動に大いに触発されたことは想像に難くありません。

 正造翁103回忌にあたり、本校生は、『真の文明は山を荒さず,川を荒さず,村を破らず,人を殺さざるべし』との正造翁の言葉を再び思い返して下さい。そして、一人一人が、社会のために今自分が何が出来るか、何をなすべきかを真剣に考え、出来るところから勇気を持って行動してほしいと思います。そしてそれと同時に、将来の社会はどうあるべきか、そのために自分は何をなすべきかについても真剣に考え続けてほしいと思います。 
 まずは、本校生は、一度正造翁の墓所に参ってみることをお勧めします。はじめての人はもちろん、行ったことがある人も。