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SGH台湾フィールドワーク4日目

921大地震の被災地の一つである埔里鎮(鎮は市に相当)の市役所に来ています。震災当時の状況、地域資源を生かしたまちづくり復興について、聞き取り調査を行いました。


Q.震災当時の課題について
A.震災当時は混乱していて、犠牲者が1000人以上も出ている状況だったため、当時の記憶はあっても資料が実は余り残されていない。とりあえず図書館で探して本を探して来ました。次の写真は、資料にあった当時のこの市役所庁舎です。ご覧の通り全壊しました。

Q.埔里には震災当時の傷跡が保存されている例が多いですね。
A.市内に残る倒壊した建築は、悲しい記憶ですが、一定の時間も経過した現在、生々しくないように手を加えて加工し、芸術的なオブジェに高める形にして保存、展示し始めています。逆に、日本はなぜ震災の跡を残さず、取り壊してなくしてしまうのですか?

(例)被災した金属製の樽を、そのまま公園のオブジェとしている。金属がぐにゃりと歪み、地震のすさまじさが伝わってくる。

Q.震災から18年が経過した現在、当時の恐怖心や地震への恐れは和らぎましたか?
A.市役所職員である私自身も被災者で、今でもちょっとした地震があっても恐怖心があります。

Q.学校の授業は震災からどれくらいで再開できたのですか。

A.校舎の再建には早くても半年を要しました。子ども達はそのまま級友と離れ離れになって各地の学校へ転校していった例が多いです。

Q.特に、被災したこどもたちへのケアについて
 A.カウンセラーの派遣を行ってきていますが、心の傷は18年目の今でも消えません。息の長い支援が必要な分野だと考えています。

Q.震災当時の町の様子や救援物資、災害支援の様子について
ライフラインや道路が寸断されたため、孤立した小さい町なのでレベルの高い医療も受けられませんでした。場所によってもまちまちだが、助けが来るのに一週間かかったところも。支援物資自体は次の日には速やかに届いたのですが、なにぶん混乱していたので、配布するのが難しかった。食料や飲料水だけでなく、紙オムツやミルクなど生活物資全般が不足した。暑熱の時期だったため、暑熱を防ぐためのテントが特に不足した。コンビニでの物資の強奪も起きた。テレビで日本の被災の様子を見ると、痛ましいけれども日本人はみなcalmで落ち着いていて尊敬する。どうしてそのようにcalmで居られるのですか?
A.いえ、1923年の関東大震災の時は日本人も大パニックに陥ったのです。地震の回数は台湾より多いので、そのたびに教訓を学び身に付けた結果だと思います。

Q.被災地域は広範囲なのに、なぜ埔里をフィールドワークの場所に選んだのですか。
A.日本でもどこでも被災地は衰退し、かつての繁栄を取り戻せているところは少ないです。神戸市もそう。それなのに埔里はトンボやカエルなど何気ない地域資源を生かして震災時以上の繁栄をしているところに魅力を感じたので、埔里をフィールドの場所に選んで調査に来たのです。

Q.埔里のどのような地域性に着目して復興を考えましたか?
A.埔里は標高が高いため、低緯度地方でも気候が日本に近い点を生かして、日本人向けのロングステイ事業を進めてきました。わたしは埔里鎮(鎮は市に相当)の日本人ロングステイ事業担当者でもあります。埔里の日本人長期滞在者をわたしは知っていますが、残念ながら、この時期は皆ちょうど日本に帰ってしまっています。


Q.逆に教えてください。埔里に滞在して、日本人の皆さんが気付いた埔里の魅力は何ですか?
A.片柳先生:埔里の町並みは30年前の日本の地方都市をほうふつとさせます。わたし世代にとっては、自分の子ども時代を思い出させる、懐かしい景観だと思います。
A.高久先生:日本人シルバー世代は退職後、沖縄に移住してセカンドライフを過ごす例が増えてきています。沖縄同様に、冬でも温暖な台湾の気候は魅力です。



午後は台中市に移動し、慈済綜合醫院を訪問、環境配慮型設備と台湾の医療課題について質問した。写真は素晴らしいお人柄の郭勁甫医師。日本語を小学生のころから独学してきたそうで、大変流暢。

大芦さくら(高1)「外国人患者の医療体制について教えてください。」
郭勁甫医師「台湾の医師は英語なら誰もがバッチリです。なぜなら医学書は台湾では全部英語だから。ここは日本と違う。台湾では英語ができないと卒業できません(笑)。」
日本人との英語力の差に圧倒された。

飯塚菜摘(高2)「921地震のような大災害時の医療課題は何ですか?」
郭勁甫医師「わたしも921地震で救援に入りました。慈済ボランティアは、この前はシリアにも支援に入っています。医療は怪我を治すとか外見上のケアをします。でも大災害で一番大切なのはなんでしょうか?それは見えない心のケアです。トラウマともいいますが、数日間で治せますか?治せまんよね。 医療人にできるのは外見上のケアに過ぎない のです。」

松澤あさひ(高1)「台湾では、お金のない人は医療にはかかれないのですか?」
郭勁甫医師「行政が無収入低収入と認定した証明書がある人、戦傷者、それと精神疾患の方は全て無料です。しかしながら、夜市ありますよね、夜市の売り上げは行政は把握できないから統計上無収入になります。このようなケースも医療費無料になってしまうのが課題となっています。」

篠崎凛花(高3) 「私は医療職を目指しています。医療従事者に求められる最も大切なことは何ですか?」
郭勁甫医師「助産師ですかー。今までの医療者の仲間の顔、思い出が浮かんできます、何からお話したらよいか。。。一番大切なのは知識より態度。僕はずっとそう思ってる。いろんな仲間と出会う、チームで仕事をする。僕の医学生時代、解剖をしました。チームは8人ですが、一生懸命深夜まで取り組んでいたのは4人だけ。残りの人は夜食作って食べてました。大切なのは、いい医療人になりたいという熱意だと思います。」

災害時等の非常用水源対策
:水道供給停止の際には近くの山の地下水利用体制が整っている。

水資源不足が台北以上に深刻な台湾中南部では、雨水回収利用が進んでいる。最上階の巨大雨水タンクを説明して頂いた。

石川健吾くん(高2)「この病院に先住民族出身の医師はいますか?」
郭先生が医学生だった時、クラス70名のうち6名が先住民族出身だったそう。
先住民族出身者は10パーセントボーナスが入る。つまり入試で500点だったら550点扱いとなる。郭先生が仰るには、医師には頭の良さは絶対に必要なものではないからだ。

予防医療センターを見学。
「予防は医療に勝る」

別れの際には院長先生より一人ひとりにお守りを手渡して頂いた。