真岡木綿
真岡木綿の歴史

浴衣(ゆかた)や手ぬぐいに使われる上等な木綿の生地のことを「特岡」といいます。

「特岡」の「岡」は真岡の「岡」です。かつては、栃木県真岡市で織られていた「真岡木綿(もおかもめん)」のことを「岡生地(おかきじ)」などと呼び、やわらかな肌触りや、染め上がりのよさで評判でした。

今でも、その名残(なごり)で、真岡で織られていないものでも、上等な木綿の生地のことを「特岡」というのです。


江戸時代、現在の真岡市とその周辺では、綿の栽培がおこなわれていました。

農家の女性たちが、農作業の合間に木綿を織って商品にしていました。

それらは問屋商人によって江戸の市場に多数出荷されました。

染め上がりを引き立たせる「晒し(さらし)」と呼ばれる加工技術に優れ、丈夫で質が良く、絹のような肌触りの真岡木綿は、たちまち大評判になりました。

江戸の木綿問屋はこぞって真岡木綿を買い求め、扱われた木綿の6割が真岡木綿であったという記録が残っています。


しかし、江戸時代の終わりには、開国による輸入綿糸の流入などで衰退し、戦後になると一切の生産を停止し、いつしか「真岡木綿」の名は失われていきました。

真岡木綿をもう一度復活させようと、昭和61年(1986年)に「真岡木綿保存振興会(もおかもめんほぞんしんこうかい)」が設立され、様々な活動が行われています。