下野国庁跡
「国庁」とは何か

奈良時代(ならじだい)、政治は、「律令(りつりょう)」という法律にしたがって行われました。

平城京(へいじょうきょう)を都と定め、全国は60数個の「国」に分けられました。

これは現在の「都道府県」のようなものです。


地方の国々は、天皇に任命された役人によって治められ、この役人たちを「国司(こくし)」と呼びました。

国司の人数は国によって異なります。下野国(しもつけのくに)の場合は、国司は4人でした。

国司が政治を行った建物を「国庁」と呼びました。現在の県庁のようなものです。

どの国でも国庁の建物は、規則正しい形に並べられました。

上から見たときに、建物の並び方がカタカナの「コ」や「ロ」の形になっており、中央に広場があることが特徴となっています。


国庁の周りにも、政治を行うための重要な建物がたくさんあり、国司以外の下級役人が大勢働いていました。

下野国の場合、およそ430人であったとされています。