下野国庁跡 | |
下野国庁はどのようなものだったか |
昭和(しょうわ)58年(1976年)の調査で、国庁のあった場所がはっきり分かりました。
土地を一辺約95mの正方形の形に区切り、その中に「コ」の字をつくるように規則正しく建物が並んでいた跡が見つかりました。
下野国庁の推定模型
中央には「前殿(ぜんでん)」という建物が、左右には「脇殿(わきでん)」という細長い建物があったことが分かりました。
脇殿の長さは、約45mもありました。
国庁でいちばん大切な建物「正殿(せいでん)」は、前殿の後ろ側にあったと考えられていますが、現在神社が建っているため、まだ発掘調査ができていません。
下野国庁が建てられた正確な時期は分かっていません。
奈良時代(ならじだい)のはじめごろに造られ、何度か建て替えられながら、200年間くらいはあったようです。
復元された前殿と脇殿
このように、国の跡がはっきり見つかっている例は全国でもきわめて少ないです。
そのため下野国庁跡は、昭和57年(1982年)に国指定史跡になり、大切に管理されています。
前殿は奈良時代のころと同じような形に、2つの脇殿は藤棚の形で復元され、自由に見学できるようになっています。
前殿の後ろ側には、資料館が造られ、貴重な資料の数々が見られるようになっています。