周辺の歴史 その20

20 上三川高校の創立-その2-
 
○上三川高校は、昭和57年(1982)10月~翌年3月に用地造成工事、4月から校舎などの建築工事に着手し、昭和59年(1984)3月に完了、4月の開校を迎えることとなりました。なおこの間、古代の集落遺跡確認のための発掘調査が行われたことは、1で紹介しました。

○そしてこれと並行して昭和58年4月には開設準備室が石橋高校内に設置され、3名の教職員が業務にあたり、翌年1月から3月までは開校準備室と名称を変更し、5名の教職員でさまざまな準備を進めました。

○特に校訓については、当時他校にはほとんど見られなかった「愛する 勉める 創る 鍛える」という、動詞によるものとしました。これは、校訓に単なる理想や抽象概念による精神的支えを求めるのではなく、実践できる行動目標としての地位を与えたかったからでした。

○また校歌については、新設校の場合、第1回入学式には間に合わないことがふつうでしたが、初代校長成島行雄先生、教頭阿部昭彦先生は、何とか入学式で校歌斉唱、制服着用を実現させようと努力しました。その結果、校長自身が作詞、その知人で音楽家の坂本勉先生の作曲による校歌ができあがり、入学式の行われた格技場(まだ体育館はできていなかった)いっぱいに歌声が響き渡ったのでした(制服のほうも間に合った)。

○昭和59年(1984)4月6日、第1回入学式において成島校長は、歴史豊かな上三川の地に再び豊かな文化を21世紀へ向けて花開かせたい、との式辞を述べられました。【完】