周辺の歴史 その19

19 上三川高校の創立-その1-
 
○昭和50年代に入ると、日本は第二次ベビーブームの影響で中学校卒業生の数が急増し、既に昭和49年(1974)には県議会でも高校増設問題がとりあげられていました。そして同51年度から61年度にかけて、12校の県立高校が開設されましたが、本校もそのうちの一校だったのです。

○一方、こうした県全体の動きとは別に、上三川町でも日産栃木工場が操業を開始し、人口が急増し始めた昭和43年(1968)ごろから新設高校を設置してほしい、との要望を県に行っていましたが、実現には至らない状況が続いていました。

○そうした中で、前述したような県の動きが見られたため、昭和56年(1981)8月、上三川町長を会長とする「県立上三川高等学校誘致促進期成同盟会」という組織が設立されたのです。同会は、町の教育環境の充実、地域文化の向上、保護者の経済的負担の軽減を訴え、県庁及び県議会、教育委員会などに積極的な働きかけを行いました。

○学校をたてる場所については、当時特に下都賀地区に高校が不足しているという事情もあって、はじめ小山市卒島地区が候補地となりましたが、問題が起こり中止となりました。その後、昭和57年5月、上三川町多功地区に高校を新設することが正式決定されたのです。

○県内にある高校は、その具体的な事情は実にさまざまですが、どの学校も地域の熱い要望をうけて開設された点では同じであり、本校もまた例外ではありません。